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【絵日記#161】不要の可能性。「生活ミニマリズム」



昨年秋から家にあるものをどんどん減らした。ゴミに出したり、家の前に「どうぞお持ちください」の張り紙とともに出しておいたり、人にあげたりと、どんどこ減らした。動機は、膨大にあるにあるものの重圧に耐えられなかったり、掃除が大変だったり。物が減って、掃除は楽になり、空いたスペースでいろいろ出来るようになった。



そんなおりに見かけた言葉が「生活ミニマリズム」。「市民ライター通信」というメールマガジン第103号(2012年5月20日発行)に掲載されているthayamaさんの記事のタイトルだ。たまたま冊子になったものを見せてもらったが、物を減らすのと関係あるかもと真っ先に読んだ。



この文章、どう紹介したらいいものかなかなか難しいし面白いので是非メールマガジンで読んで欲しい。でも頑張ってちょっとだけ書いておくと、資本主義的な発展である、物や「装飾的な要素」の増殖によって快感を得ることとは対照的な、モノが少ない暮らし、情報が少ない暮らしのもたらしうる楽しさや幸せの可能性に光をあてたものだ。先に書いた家の中の物を減らす行動は「生活ミニマリズム」実践編の一部かもと思う。しかし、「生活ミニマリズム」が言及するのは物理的な物だけにとらわれず、サービス、考え方、働き方、そんなモノも含んでいる。



今、これだけモノが増えた中で「生活ミニマリズム」を実践していくには一旦はどうしても減らしていくことになると思う。私たちのように家の物を減らしていく人、使うサービスを減らす人、労働時間を減らす人。そしてこの「減らす」という作業が面白いんじゃないかと思う。



減らすことの何が面白いかというと不要だと気付くこと。私は何年か前まで台ふきを定期的に購入していたが、ある日、お店で台ふきを手にとって「家に余っているタオルを使いやすい大きさに切って使えばいいじゃないか」と気づき買わずに帰った。簡単なことなんやけど、「買う」と決めてかかっているとなかなか思いつかない。そして、こんな小さな気づきが嬉しかったようで今でも憶えている。



これだけものがある時代には作らない方が作るよりも創造的なんじゃないかというようなことを、「ていれとつくろい」を一緒にやっているパートナーが言っていた。「生活ミニマリズム」の実践にはそういう考え方が上手く合いそうだ。「それ実は不要なんじゃないか」という提案とか、なくてもこうして生きていけるよ、という提示とか、ない世界がこんなふうに楽しいっていうことを伝えるとか。台ふきのような小さなことから、もっと社会の仕組みに係わるようなことまで、今まで付けすぎてしまった生活の装飾を落としていく活動は創造的だと思う。



減らすことがいつも面白さや楽しさに満ちているわけではく、今まで大事にしていたものと決別する辛さもある。やりすぎたって後悔もあるかもしれない。でも、thayamaさんが言っているような「ぼくらが楽しく、幸せ」だったり「自然や動植物が生き生きしてい」るような世界を想像しながらやってみるなら、ときに辛いことがあっても面白いんじゃないかと思う。
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