お知らせ

ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

#83 スパイス屋

タイカレーが好きで、クックパッドのこのレシピでよく作る。それに必要なクミンやカルダモンを大量に買いたいと思い、ネットで調べた神戸のお店に行ってきた。

普通のマンションの一室で経営しているそのお店の名前はIndian Provision Store。階段を上がり暗い廊下にあるそのお店に入るのは少し勇気がいった。中に入ると割と普通の商店といった感じで緊張が解けた。


ところ狭しとスパイスが籠に並べられている。クミンは500グラムで500円。カルダモンは100グラム500円と安い。使い方をしらないスパイスも買いたくなってしまうほどだ。どっさりとスパイスを買い帰った。スパイスだけで1キロ近く買ったと思う。スーパーではなかなか買わない量だ。こういったお店で買うと量の感覚が変わってしまう。


袋を開けたときのスパイスの香りはたまらない。その日の夜に寄った友人の家で早速カレーを作った。たっぷりスパイスを使ったカレーは美味しかった。

#82 河井寛次郎記念館でしゃんとした


京都わくわくまちあるきツアー@東山」の最後に河井寛次郎記念館に行った。河井寛次郎記念館は彼が住んでいた家を遺族がそのまま記念館にしたものだ。この日は、ツアー前に河井寛次郎のお孫さんで記念館学芸員の鷺珠江(さぎ たまえ)さんの講演もあり河井寛次郎の略歴や制作の遍歴をいろいろなエピソードと共に聞くことができた。

民芸運動のことや彼の詩作のこといくつか印象深い話があったが、その中の一つが河井寛次郎が几帳面だったということだった。少しでも座布団が斜めになっていると、畳の目に合わせて整えたんだという。それがピリピリした感じでもなく、河井寛次郎がいない時でもちょっと背筋がしゃんするようで良かったそうだ。


街歩きの最後に記念館に着くとその話を思い出した。今は記念館なので河井寛次郎が住んでいたころとは様子が違うだろうが、きっちりと置かれた座布団や椅子は「どうぞ座ってゆっくりして行って下さい」と言っているかのようだなと思った。部屋にはいい塩梅に
寛次郎の作品が置いてある。見ていて心地が良い。

私の家にも人が来てくれたらいいなと思った。私もしゃんとさせられたようで家に帰って早速少し掃除をした。

#81 京都わくわくまちあるきツアー@東山




京都わくわくまちあるきツアー@東山」という京都市東山いきいき市民活動センターの東山を歩くイベントに参加してきた。その日は「京都の陶芸文化と祇園南側散策ツアー」というテーマで東山の白川辰巳神社、切通し、吉井勇歌碑、六波羅蜜寺、建仁寺などをまわり最後に河井寛次郎記念館に着くというコースだった。

大阪で育ち、その後も京都に住んでるので、ちょくちょく来ていた「京都」だったがここ1-2年は京都を全然知らなかったなと思うことの連続だ。今日行った地域も全然行ったことのない場所がほとんど。何度も通ったことのある通りから、一筋違っただけでぜんぜん違う雰囲気が漂っている。「普段の観光では歩かないまちの魅力を再発見してみませんか。」という謳い文句そのままに魅力を感じていた。

去年、網野善彦の本を読んでから京都のイメージが変わり始めた。今まで持っていたいわゆる「京都」というイメージの傍らに非人が暮らした河原の姿などが並んで浮かぶようになってきた。

今回のツアーも祇園、清水寺、四条通ではない京都を、「そうか、ここも京都か。ここも京都か」と少しずつ京都を拾っていくような素敵なものだった。

#80 ペンクリニック

神戸・三宮のナガサワ文具で開催していた川口明弘ラストペンクリニックに行ってきた。1年半ほど前に買った万年筆は時々かき心地ががさがさしたり、書く角度によってインクが出なかったりとなんとなく書きにくいと思うことがあったが、使い込んでいくうちによくなるだろうとか、万年筆はそういうものなのかもしれないと思っていた。でも、数分の修理が終わると別物かと思うほどかき心地が良くなっていた。

修理を進めながらいろいろなことを教えてもらった。

私の万年筆は品自体がよくない物だったようだった。ペン先の割れ目が真ん中に入っていなかった。これが真ん中に入っていないとバランスが悪くよくないとのことだった。どこで買ったのか、試し書きはしたのかと聞かれ、「ヨドバシカメラの文具コーナーで、試し書きはして買いました」と答えた。すると、万年筆のメーカーは良い万年筆をナガサワ文具などの文具屋に流す傾向があり、ヨドバシカメラのような店やネットの販売店などには悪いものを流すことが多いと教えられた。ネットのものは安いかもしれなが、すごい損をすることがあるので高くても文具屋で買う方がよいとアドバイスされた。

更に、中のインクは古いものを使ってないかと聞かれた。1年半ほど前に万年筆と一緒に買ったものだと答えると、インクも回転がいい文具屋で買ったほうがよいと教えられた。インクは3年ほどは粘度がありかき心地の良い状態が保たれるらしいがそれ以上するとかき心地が悪くなってしまうらしい。私のインクは買ってからはまださほど経っていないが、インクの回転が悪いであろうヨドバシカメラに在庫として何年しまってあったかわからない。試しに新しいインクを付けて書かせてくれたが、確かにそれだけで書き味が全然違った。

ペン先の質がもともとよくない万年筆だったが、修理してもらい書きやすい万年筆になった。すごい!とても嬉しい。万年筆をあまり知らずに買って使っていたものが少し不良品気味だったと知って少しショックだった。でもそのお陰でいろいろと教えてもらい、次に買うことがあれば、できれば万年筆の調整ができるような人がいるお店で買おうと思う。「大事に使ってください。」と最後に言われ店を後にした。


#79 分業しなくていい

年末に実家で餅つきをした。初めてのことで楽しみにしていた。父は子どもの頃には年末になると餅つきをしていたらしいので滞りなく進むと思っていたがそうもいかなかった。

米を蒸すのが上手くいかない。火力が弱いだけだったのだが、なかなかそのコツが分からず蒸すのにかなりの時間がかかった。父がちゃんと知っていたのは餅をつくところだけだったみたい。それがその当時の男の子の仕事だったんだろうと思う。餅つきは分業でやってたんだなとやった気づいた。


餅つきだけでなく家事は全般に分業だったんだろう。ガスがないから薪割りをし、別の人が火を起こし、料理をする。全部の技術を持つことはなかっただろうし、そんなことをする時間もなかったんだろう。当時一人暮らしというのは困難だっただろうなと思った。私が一人暮らしをしたときは一人でできなくて困ると思うようなことはなかった。家事をさほど分業しなくてもできてしまうように家の造が変わり、家電などの便利な機械ができてきたんだな。


一人暮らしできるというのは道具の発明によってできるようになったすごいことだったんだと思った。

#78 障子は明かりとり

1月23日の日記で障子のことを調べてみようと思うと書いたがやっと調べた。しきり(光琳出版社)という本を図書館で借りてきた。障子だけではなく、組子、屏風、暖簾など住まいを仕切る様々な建具や道具について書かれた本だ。

障子は戸を閉め切り風雨など冬の寒さをしのぎながらも戸外の光を取り込むために使われたらしい。それまでは家の外の内をしきる建具は蔀戸(しとみど)と呼ばれる格子を組んでそこに板を張ったもので、閉めてしまえば部屋の中は暗くなってしまっていた。障子は平安時代に原型ができてから、明治にガラス戸が普及するまで部屋を閉めきりながらも光を部屋に入れる最も有効な手段だったようだ。


障子が断熱をしながらの採光の手段だったなんて思いもよらなかった。障子を閉めると部屋が暗くなるのが嫌で、昼間は閉めたくないものだからだ。生まれた時からガラス戸も強力な照明もあるので、家にいるときはたいていその明るさを求めている。


それでもまだ障子はなくならないし、私もあって欲しいと思う。普段は家の中でも本を読んだり、作業したりすることが多いから明るさを求めるが、光を紙を一枚通した薄暗さも好きなんだ。家では味わえないお寺や神社の薄暗さを心地よく思うこともよくある。

#77 パルメザンチーズをブロック購入

カルボナーラやサラダを作るときにパルメザンチーズをよく使う。パルメザンチーズは粉状のものを買っていたが、鰹節を削り始めたことでチーズも自分で削ったほうが美味しいんじゃないのかと思い始めた。香りは粉にしたらすぐに飛んでしまってるはず。

じゃあ、やってみようということでパルミジャーノ・レッジャーノ1キロを通販で購入した。送料込みで4000円くらいのもの。チーズおろし器も買おうかと迷ったがとりあえずおろし金を使うことにした。数日後、家に届いたものをまずは少し切って食べてみた。やっぱり香りが違う。美味しい。


カルボナーラも作ってみた。1人前作るくらいの量ならおろし金で問題なく削れた。味は格段に美味しい。イタリアではカルボナーラに生クリームを入れずに作ると聞いてからカルボナーラは生クリームなしで作ってきた。それで十分美味しいと思ってたけど、これだけチーズが美味しければ生クリームは入れたくなくなる。香りはもちろんのことソースに濃厚さが出た。ちょっとこのパルメザンチーズはしばらくやめられない。

#76 味噌の仕込み

「味噌作りは簡単」という知人のFacebookの一言を読み、2-3日後には麹を買い味噌を仕込む準備ができていた。味噌作りもかなり手間がかかるものと勝手に信じていたもののひとつ。成功するかは発酵の終わる年末頃までわからないけど、材料さえあれば確かに仕込むのは簡単だった。

材料は、麹、大豆、塩の3種類。麹は「生こうじの大阪屋」という京都平安神宮の近くに支店がある麹屋に買いに行った。大豆と塩は家にあった。作り方はマルカワみそを参考にしたが、大まかにいえば、大豆を茹でて潰し、材料をすべて混ぜて、発酵させる容器に詰めるだけ。茹でるのに5時間ほどかかるが、たまの味噌作りだと思うと丁寧にやれる。潰すのが大変じゃないかと心配していたけど、そんなことはなく柔らかくなるまでしっかり茹でたので簡単に潰れた。ビニール袋に少しづつ入れて瓶の底で押していくとどんどん潰れていく。そして、手で麹と塩を混ぜそこに潰した大豆も入れて混ぜた。発酵用の容器にペタペタと空気を抜くように入れていき、重石を乗せて、「美味しく出来ますように」とお祈りした。


どんな出来になるのかな、もっかい作りたくなるほど美味しかったらいいなと思いながら楽しみに待っている。

#75 繕いの道具

衣服の繕いに必要な道具は以外に少なかった。針にはいろんな種類があるので、布によって変えないとだめかと思ってたこともあり色々買うことになると思い込んでいたらそんなこともなかった。少しは裁縫道具を持っていたので買いたしたのは、刺しゅう針、指ぬき、糸。他に使っているものは針山、ハサミ、糸通し、とまち針。買いたしたもののなかで指ぬきは要らなかったかもしれないと思いはじめている。運針が下手だからかもしれないけどあまり使わない。

針は、フランス刺しゅう針のNo.3というもの。No.3はこの種類の針では一番太いようだが、今のところ太くて縫うのに困ったということもない。太いのでよくある手縫い用の糸にも刺し子や刺繍用の糸にも使えて便利。


繕いは割と大雑把にやってもそれなりにいいものに観えてしまう。破れてるのにほったらかしてるよりずっといい。袖口や裾の薄くなってしまったところは、ブランケットステッチで繕うとそんなに練習しなくても綺麗に見えるのが楽しい。縫う幅を狭めてみたり、縫い方を工夫してみたりまだ試行錯誤は続いている。

#74 道具の進歩

今使っているコーヒー焙煎器は1年半ほど前に作ったもの。アウベルクラフトのコーヒー焙煎キットを参考にして、当時通っていた大学の制作室で作成した。1年半が経ち使用によってできた歪みから更に強度が必要だった場所がやっとわかってきた。

あとどれくらい持つだろうか、と時々不安になる。自分の作ったものの弱さを見るときに、道具というものの完成度の高さを思い知る。用途のために何十年と使われた道具は、使用に耐える形状をしている。その形状が出来るまでに、壊れやすいところは改良されるということを繰り返して今それが手元にある。


そうやって磨かれてきた道具は美しいし安心できる。自分で作ったものでも観察して改良を繰り返すうちに、使用に耐える美しさを手に入れることができるんだろうなと思う。溶接道具を持っていないので、もし壊れてしまったらこの焙煎器を修理したり作りなおしたりするのは難しいなと思うと少し歯がゆい。

#73 ふんどし制作

ふんどしを作ってみた。ゼッケンの紐のような綾テープというものを買ってきて台所にあった手ぬぐいを使って作った。腰に回り結べる程度に綾テープを切り、手ぬぐいをそのままの大きさで縫い合わせるだけの簡単なもの。20分くらいで完成。

つけてみた。そもそも履くといった感じはなく着ける感じ。トイレで脱ぐ時なども、いつもと行程が違うので違和感がある。着心地はちょっとスカスカした感じで、パンツほどはフィットしない。しかし、今は寒いのでズボンの下にスパッツを履いているのでパンツと大差はない。綿のさらっとした感じは気持ち良く、「夏は涼しくていい」というのには納得。


まだパンツより好きかと聞かれてもよく分からない。もう少し使ってからまた報告します。

#72 機械を使う罪悪感

「機械を使うのには罪悪感がある」と言われ、確かにそうだと思った。「お金を儲ける罪悪感」に似てるかなと思う。機械を使うことやお金を儲けることはなんら悪いことはないのに罪悪感がある。

例えば、洗濯機や食器洗い機を使うことに罪悪感があると思う。普段は気にしていなくても、皿くらい手で洗えばいいとたまに思ったり。誰かが手洗いしていると聞くと自分が悪いことをしているかのように思ってしまったり。電気を消費するからダメとか、楽しようとしたりするのがダメとか思ってるんだろう。実際には、機械を使うほうが光熱費は安くなったりするし、楽なことは全く悪いことではないのに。電動工具ばかり使っていた時期があるので、手動工具を使っている人を見るとなんとなくソワソワしてしまう。それが罪悪感だと指摘されると府に落ちてしまった。


手洗いしている人も、手動工具を使う人も電気製品を否定しているわけでもなんでもないのにそんなふうに思ってしまっていたのは不思議だった。その目的にかなっていれば電動でも手動でもいいはずだ。

#71 補充できるということは

絵日記の絵を描くには製図ペンを使っている。ペンで描きたいと思ったときにとりあえず買ってきたステッドラーやヌーベルなどのメーカーが出しているの使い捨てのペン。一度インクがなくなると使えなくなってしまうので、インク補充できる似たようなペンがないか探してみた。

「ペン画のすすめ」という本でステッドラーやロットリングがインク補充できる製図ペンを販売してるのを知った。ペン先も違うようでこちらは金属でできていて均一な線画引けるらしい。使い捨てのものはペン先がブラスティックで、描いていくうちにペン先が摩耗し線の幅が変わっていく感じがする。補充ができるタイプのペンはペン先の摩耗により中のインクを外に吸い出せなくなったときが寿命らしい。この時もペン先だけ取り合えれば他の部分は使い続けられる。

補充出来るだけでなく、質もよく描きやすくもありそうなので、使い捨てではなく補充できるものを買うことにした。使い捨てのものにはやっぱり使い捨てる程度の質しかなと思った。

#70 丈夫な下着は?

繕いをすると服や下着をよく観察するようになる。服が薄くなっているのに気づいたり、生地が直したりしやすそうが難しそうか観察している。そして、褌が欲しくなった。

女性用のパンツは全体がゴムでできていて、伸びてきてしまうし、そうなると修理しようがない。布に穴が開いたりせずとも緩くなって着心地が悪くなってしまう。褌はさらしなので、ゴムのようにはならないだろう。


ネットで褌を調べてみると、結構販売しており女性にもお勧めしているのでびっくりした。色や柄もヴァリエーションに富んでいる。白や赤いものだと思ってたけど、凝っている物が多い。褌の作り方も調べてみると、腰に回す紐とさらしを縫い合わせるという簡単そうなものがあったので作ってみようと思う。


繕えるだろうという予測以外にも夏は涼しいなど他のメリットもあるそうなので楽しみだ。

#69 いい衣服

繕いをしながら丈夫な作りの服ってどんなものだろうと考えていた。繕わなくていい服が一番丈夫なように考えて作ってあるんじゃないかと思った。

いろんな服を見ていくとだいたい繕わなくてはいけない場所がわかる。袖口とか襟とかだ。だから服を改良していく過程で、その部分をもともと強くなるように設計していくのは当然だと思った。「そろそろ繕わないと」と思うようなところが見つかったときには実は全体が薄くなっていてちょっと繕いようもない、というのが丈夫に設計されたいい服だと思う。そういう服は生地が丈夫なだけでなく擦り切れやすそうな場所は、布が重ねてあったり他よりしっかり縫ってあったりする。


私が今持っている服には丈夫そうな物があまりない。でも、繕っているうちにどんな服が買いたいのかも分かってきてしまった。次に服を買うときは生地と縫い方をチェックしてみようと思う。

#68 ミシンでも繕ってみたい

今日も少し繕いを。しかし、この間と同じ刺しゅう針で冬用の分厚いスリッパに挑戦してしまい、生地が固くて針がなかなか通らないので苦しかった。やっぱり、道具はちゃんと選ばなくては。

手縫いの他に、裁縫の道具といえばミシン。色々試していくに従って、手縫いの方が上手くいくであろう縫い方やミシンのほうがよさそう縫い方というのがでてきた。袖口補強のブランケットステッチは手縫いで楽しくできる。おしりや膝など広範囲にわたり薄くなってしまい、運針で補強していくようなときは、細かく縫ってくれるミシンを使ってみたい。運針は細かさに限界があるし、めんどくさくなってしまう。

#67 変わる卵の大きさ

卵は近所の卵販売機で買っているが、最近卵の大きさが少し大きくなってきた。12月から1月は200円で小さな卵14個入りくらいのを買ってたが今はそんなにたくさん個数が入ったものは見当たらない。今日も一番多そうなのを買ったが12個入り。でもサイズは大きくなった。

季節によって卵の大きさが変化するのかなと思ってたら、それもあるが鶏の年齢により変化するということを教えてもらった。若い鶏は小さな卵を産み、成長するに従って大きなものになるらしい。


どこまで卵は大きくなっていくのだろうとちょと考えたあと、また小さな卵が混じり始めることがあるのかとふと思うとワクワクした。卵販売機の卵を産んでいる鶏たちの姿が見えてくるようだった。

#66 初めての繕い


昨日に引き続き今日も針と指ぬきを買いに出かけた。少し大きめの手芸屋まで行くと、刺しゅう針と指ぬきも売っていた。スティッチ用と書いてあった糸も買ってみた。

「繕いノート」という本を見たときに、シャツやジャケットの袖口を繕いができるとわかったのでまずやってみることにした。この本にはどんなものが繕えるのか、繕うとどうなるのか写真付きで載っており、繕いのイメージがわく。それに必要な縫い方が最後に紹介されているのでやってみようと思えた。すべて手縫いでのやりかたが書いてあるところも、ミシンを持ってない私としては魅力的だった。

ブランケットステッチですり切れたコートの袖口を縫っていった。生地が補修されて強くなっていく様子が手に取るようにわかるのが楽しい。繕いのあとが目に見えて、一針一針に満足感がある。繕う前よりこのコートを着たいと思うようになった。

繕った跡は目につくところに派手に残っているのにみすぼらしさなんかこれっぽっちもなく、むしろ誇らしい。機能が長続きするように、それに糸の色が合うように考えて繕ったからだろう。こんなに楽しい繕いは初めて。

#65 針を買いに


いろいろと繕うものが出てきたので、針と指ぬきを買おうと近所の小さな手芸屋に行った。繕いに関する本で薦めていた刺しゅう針を買おうと思ったがいろんな種類の針の入ったものしか売ってなかった。いらない種類のまで買いたくないので買わずじまい。指ぬきも売っていなかった。

刺しゅう針や指ぬきを売っていないなんて、と思ってしまったが、手芸用品なんて山ほどあるのだから小さなお店では欲しい物がなくても普通なのかもしれない。

今日のように、欲しいものが決まっていてそれを探そうとするとなかなか見つからない。そうでないときはなんでもあるような気がしていた。針でも少しは持っているが、なんでもいいから縫えればいい思って百均で買ったものだ。確かに縫えるけど、針がよく曲がってしまうし用途なんか考えずに買ったものだからいつもなんとなく使いにくい。

欲しいものがなくてがっかりしたが、やっとやりたいことをちゃんとやろうと考えれるようになったのかと思うと少し嬉しい。

#64 左官屋の憂鬱

このところミヒャエル・エンデの「モモー時間どろぼうと盗まれた時間を人間にかえしてくれた女の子の不思議な物語」を読んでいる。時間どろぼうが現われると大人たちはみんな時間を節約しようとやっきになり、そのために生活を変えていってしまう。その大人の一人にニコラというモモの友達の左官屋がいる。ニコラはモモのために石のかまどを作ったり、時々モモに会いに行っていた。

ニコラが時間を節約するとどうなったのかというと、「四、五年はもつけど、そのうちに咳をしただけでも落ちるようになっちゃう」ような工事をし始めた。それは「左官屋の良心」に反するようなことで、ニコラはもう彼が建てるものを誇りに思うことはできなくなってしまった。でも、こんな時代だから仕方ない、いつかお金を貯めて何か別のことをするとモモに伝える。

そんな工事しかしなくなったのはその方が時間がかからないからだ。それを読んで身につまされてしまった。早く終わらせようと思って手抜きをし、すぐにやり直しをしないといけなかったりそもそも上手く行かなかったことが何度もあった。そういったことは、人に見せれたことではないと思いこそこそやっていたところもある。時間どろぼうされてたんだ。

#63 農山漁村文化協会の絵本

じゃがいもの植え付けをした。かなり暖かくなったので外での作業が楽しい。

じゃがいもの育て方は農山漁村文化協会出版の『じゃがいもの絵本』を参考にしてやっている。植える前に、種芋を日光にあてて発芽を促進させる浴光育芽や、土に埋めて芽が少し伸びてから土を盛り足す培土のことはこの本で知った。培土をするのは、じゃがいもが育つための空間を確保したり、じゃがいもが日光に焼けて緑になってしまうことを防いだりするためらしい。今年は培土もちゃんとやってみるつもりだ。夏の収穫が楽しみ。

農山漁村文化協会は他にも様々な絵本を出版していて、チーズや酢の本など何冊か読んだがどれも作り方が詳しく書いてあって作ってみようかという気にさせられてしまう面白い絵本だ。『じゃがいもの絵本』が入っている「そだててあそぼう」というシリーズだけで既に95冊も刊行されている。他にも加工食品のシリーズなど、私もこんなにあるのは知らなかったのでまた見てみようと思った。とりあえず春に向けてトマトときゅうりの育て方を調べたい。

#62 あめあめふれふれ

雨がどの季節にどのくらい降っているかを気にかけていると思っていた。でも、実際にはあまり気にしてなかったんだとトイレ水用に雨水タンクを使うことでわかってしまった。

1月の半ばまで、雨が降らないのでトイレ水不足が続いていた。風呂水で補っているのでずっと水がないわけではないが、今日も降らないとか、今日は雪がちらついたぞとか意識してしまう。雨が降ったら嬉しいからいつ降るのかとそわそわしている。


そうやって毎日雨のことを考えることで、雨は私の生活とあんまり関係無かったのかとわかってきた。雨が降ったことで外に出てかけたり、散歩できないない不便さは意識したけど実はさほどのことではなかった。それに雨が降らないことはほとんど意識してなかった。


うちで雨水が溜まらなくても、今は水には全く困らない。でも、季節でこんなに降水量がかわるのかと思うと池の大事さがわかってきた。

#61 溜まる溜まる

生ゴミの殆どはコンポストで堆肥にしている。野菜を作るのも好きなので、堆肥にできて嬉しい。今のところこの庭からの収穫量は微々たるもので、特に冬場はほとんど何も収穫できない。もともと土地が痩せていてコンポストをしていても野菜が育つまでの土地にはまだなってないんだろう。

でもある時、痩せてた土が肥えていくっておかしいなと思った。どこからか栄養が運ばれてきてここに溜まっていってるのか、そしてどこかの農場は痩せていっているのかなと考えると、そバランスがとれていないように思えた。



家庭のレベルでも、うちで起こっているようにどんどん栄養が溜まっていく。それに日本の平成22年度の食料自給率が39%だということを考えると、どれだけ日本に栄養が集まってきているんだろうと驚いてしまう。


日本から出ていっている量などの詳しいことはわからないけど、今までいいことばっかりだと喜んでやっていたコンポストのことを考えなおしてみて初めてこういうことが気になった。

#60 システム開発

中学生の時に、風呂の残り湯を捨てるのはもったいないと思い、残り湯をトイレ用の水として使っていた。バケツに残り湯を汲んでトイレに運び便器に流すのだ。張り切って始めたものの、こぼしてしまうことに嫌になり面倒になってしまった。そして短い期間で挫折した。

こういう風に面倒くさくなって辞めてしまうことが時々ある。ちゃんとしたシステムが構築されていないので、作業が簡略化されておらず面倒くさくなってしまう。上手いやり方を考えずに、なんでもいいから風呂の水をトイレに運ぶということだけを達成しようとしてしまうからそんなことになってしまう。そしてすぐに辞めてしまう。


残り湯をトイレで使うなんていうのは使い続けるのが目標になる。バケツで運ぶことを根性で続けるのは難しい。だったら、簡単に残り湯を運べる方法を考えなくてはいけなかった。
今は残り湯は一旦外のプラスチック製ドラム缶に移した後、トイレに移せるようにしてある。どちらの移動も電動の風呂水ポンプで行う。これなら続けていける。
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