お知らせ

ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

#133 毎日同じ服

「のび太君はどうして毎日同じ服なん?」と子どものときに聞いたことがある。漫画の登場人物たちは大抵同じ服を着続けていて、それが現実離れしてるような気がしてた。同じ服を毎日着てるなんていけないとか、洗ってないだろうから汚くてだめとか考えていたと思う。(同じ服を何着も持っている可能性はあまり考えたことがなかった。)

でも、私も今はかなり毎日同じ服を着ている。汚れていなければ毎日洗う必要のなんてないし、実際普通の生活ではそんなに汚れない。気に入った同じものを毎日着てるほうが安心。だから、服は洗濯のために季節ごとに数着あれば間に合う。

でも貧乏性で貰いまくった服が押入れや棚に溢れてしまった。なんだかそれがかっこ悪いなと思いはじめた。着たいか着たくないかよくわからないけど溜まってしまった服をなんとかして、毎日でも着たい服をちょっと持ってるように変えていきたいなと思う。

#002 「収納」は日常の美を殺す

「収納」という言葉が押入れやクローゼットのようなもののことを指すようになったのはいつからだろうか。中に入れてフタをする装置である。つまり、そこに入れられたものの存在を消してしまう場所である。「収納」になんでも入れて見えなくなっていると一見、部屋は「美しく」感じるが、それと同時に「収納されたもの」は「人目につくと困るもの」となる。つまり「美しくないもの」として認識されるのだ。

台所の流しの下の空間や吊り棚などの「収納」も、鍋やボウルを入れてフタをする。使い込んだ中華鍋の黒光りする鍋肌も泡だてできめ細かく磨きこまれたボウルの内面も「収納」されたとたんに見せてはいけないものとなる。

「収納」とは日々使う道具の美しさを否定する行為だといえる。

民芸運動が見出した「用の美」というのは「用いていることの美」であって、単に使いやすさの合理性を長き時間にわたって追求された造形の美しさをだけ指す言葉ではないはずだ。

だから日常的に使っている道具はなるべく「収納」しないで見える場所においておこう考えている。そのためには工夫がいるがそれはとても楽しいことだ。この大きなお盆は部屋のどこにどのように置けばいいのか、おひつはどこがいいのか。そういうことを考えだした途端、日常的な生活の場が美術館か博物館になったかのように思えてくる。

今日まずやってみたこと。台所の流しの下の空間についていたフタと吊り棚のフタを外した。中が丸見えだから、これからどんどん美しいものが美しく置かれていくはずだ。

#132 イーゼルの処理

小学校1年生から使っていた携帯用のイーゼルを持っている。油絵を習い始めたときに買ってもらったもので、それから高校を卒業するくらいまでは度々使っていた。あちこちに油絵の具が付着し、油のシミもある。たたんで固定するときに使う皮のベルトもとうとう切れた。そのイーゼルを処分することに決めた。

実は長いこと使っていない。金具の歪み・緩みがあること、もともと携帯用であることなどの理由で安定性が低く使いにくい。外で絵を描くようなこともないし、家でもイーゼルを使うよりは机で描くことが増えた。


引越しを何度か経ても捨てられなかったイーゼルの処分を決定するのは大変だった。なんだかとてもしんどい気分になる。画材道具はどういうわけか私には処分しにくいもの。


でもそれを決めてから何日か経って、今度はすがすがしい気分になってきた。もしかしたら、その使いにくイーゼルを何とか使わないと、と見る度に考えていたのかもしれない。

#131 修理された包丁

冷凍していたものを切ったために刃が欠けてしまった包丁を修理に出していた。出して1週間ほど経ち、もうできているはずなので取りに行ってきた。

持ち帰りやすいように新聞紙に包んで紐で縛ってありその場では見れなかったので、家までじりじりと我慢。解いてみると綺麗に直っており、まだ少ししか試していないが切れ味も良くなっていて大喜び。思わずトマトが切ってみたくなる。


包丁を修理に出したいとか研ぎに出したいとか、あんまり考えたことなかった。以前は特に使いやすいとも思わなかった包丁を使っていたので、なかなかそういう風に考えれなかった。最近はとりあず道具はいいのを買わないと、とは思うもののその道具選びがものを作っていく過程でかなり難しい部分だろうなとも思ってる。

#001 捨てる労力

うちの実家もそうだが、だいたいある程度以上の年齢の人の家というのは使わないものであふれている気がする。いや、若い人でもあふれている人はいる。その場合、規模が違うが、それは単に置いておけるスペースの大小の問題なのだろう。となると、人というのはスペースに応じてものを貯めこむ性質があるということになる。

洋服はタンスから溢れてそこらに積み上げられ、家具、特にソファーが物置台になっている。それらのものは最初必要があって、おそらくある程度の金額を出して購入したものだ。そのために働いてお金を貯めて、あるいは何かを我慢して、その対価でどうにか購入したものだ。でも今は必要なくなって、それでもそこにある。

不思議なのは、だいたいそういう状況に対してその持ち主は「何とかしたい」と思っていることだ。自分が手に入れた物だから、置いておきたいと思っていて、置いておく場所があるなら遠慮なく置いておけばいいのに、なぜかそのことを対処すべきこととして考えている。

「できることなら誰かにもらってもらいたい」と思っていても、もらってもらえるものはごく一部で大半のものはそのままになっている。捨てればいいのにと思うけれど捨てられない。なぜ捨てられないのか。

それはつまり捨てるのに労力がかかるからだ。これはゴミ捨て場までそれを持っていく肉体的な労力というよりは、ある程度苦労して手に入れたはずのものを無価値なものと認定しなおすことに必要な精神的な労力だ。他人にもらってもらうならその価値は保たれるが捨てるとなると無価値になる。手に入れた時の自分自身の価値の付け方を自分自身で否定しなければならないのだ。

捨てるための労力が手に入れる労力よりも大きいと物は溜まっていく。逆だと溜まらない。基本的に人は手に入れる労力よりもそれを捨てる労力のほうが大きいという性質があるのだろう。そういうふうに進化したのだろう。

#130 家が楽しい

兵庫県和田山のあーす農場というところに行った。そこでは、かなり自給自足に近い生活をしている。初めて五右衛門風呂を薪で焚いたり、鶏の卵をとったり、田植えをしたりとても楽しかった。父の子どもの頃の生活をいろいろ聞かされて、そういうのやってみたいなと思ってたことをかなりたくさんやったり、見れたりしたと思う。

帰りの電車で、田舎でそういう生活をしてみたいと思ってた時期もあったけど、家庭菜園をしたり、トイレ用水に雨水タンクを作ったり、七輪で料理したりで田舎に住んではいないけどそこでやりたいと思ってたことを住宅地でやりながら結構楽しく暮らしているなと思った。


一軒家で庭があるというのは恵まれてるとは思うけど、住宅地ではできないやろなと思い込んでしまったことをちょっとずつやれるようになっていっている。まだまだいろんなことが出来るようになりそうやなと思ってるので楽しみだ。

#129 鋏に油をして

冬に買った糸切り鋏をこないだジーパンをほどくのに使ってしまい、そのあとギシギシと切りにくくなって悲しくなってしまった。多分歪んでしまったんやろなと思って、直せないかお店に聞きに行くと油をつけただけでほとんど元通り直ってしまった。

歪んじゃったかと思ってましたと言うと、「それも少しはあるけどこのくらいなら油で大丈夫。切りにくくなったら無理して切らずに油を差してみてください」とのこと。布を切っているうちにもともと鋏についていた油がどんどん拭き取られていくから、時々油を含ませた布で拭くといいらしい。

ホームセンターなんかで売ってるのでミシン油を使うようにとアドバイスされ帰ってきた。ちょっとこれで安心。

ついでに刃の欠けてしまった菜切り包丁の修理も頼んできた。もう何日かでできあがるので楽しみだ。



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時間をかけてでもしっかり描いた絵を載せる方が、毎日できるなかで描いて載せるよりよいかと思ったのでそうしようとしてたけど、やっぱり下手でも時間がかかってなくてもなるべく毎日描く方法に戻すことにしました。書きたいことがあっても絵が描けないと思って辞めることも何度かあったので。しっかり描ける日があればそうします。

#128 糸切りばさみを購入

京都三条通にある菊一文字という刃物屋さんで糸切りばさみを買ってきた。買ったのは長さ10センチほどの和鋏で4,750円のもの。鋏にそんなにお金を掛けたのは初めて。

お店には大きさや形などの違う何種類もの和鋏があった。それに同じように見えても値段が違うものもある。眺めているとお店の人が来ていろいろ教えてくれた。まず値段の差は使われる金属の種類で変わるらしい。高いもののほうが頻繁に使っても研ぐ頻度が少なくてすむ。これは、他の包丁なども同じだそうだ。だいたい値段は2,000円から9,000円ほどのものがあったが、割とよく使うので4,750円のものにした。月に1度、ボタンをつけるくらいなら安いもので十分とのこと。


後は形の違い。まずは刃の長さ。布を裁つのにも使うのなら長めのものがいいらしいが、ほとんど切らないので短いものにした。全体の大きさにも何種類かあったが、これは布を用意してくれ実際に切らしてもらい持ちやすい105ミリのものにした。これがだいたい標準だそうだ。ちなみに小さいほうが安い。もう一つは持ち手にビニールが巻いてある物とそうでないものがあった。これも好みで持ちやすい方をと言われたので、使ってみて巻いてない方に決めた。


買ってきてさっそく家で使ってみた。糸をパチンと切る音が心地いい。今まで裁ちばさみで糸まで切っていたので断然切りやすい。これから使っていくのが楽しみだ。
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