お知らせ

ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

#28 かつての活躍


#31 芦屋チャンネル


1月26日の芦屋チャンネルの生放送の放送風景を見に行った。芦屋チャンネルとは芦屋で活動をしている団体で、芦屋に関する動画を集めてホームページで公開したり、動画の編集に関わる講座を開催したりしている。

月に一度ほど芦屋の市民活動センターからの生放送では、ライラックという団体が行なっている野菜販売の様子や芦屋のイベント情報などが放送される。私がコミュニティーセンターなどで行われている野菜の販売に行ってみようと思ったのは去年のこの芦屋チャンネルの放送がきっかけだった。

この放送を見に行って衝撃的だったのが「生やさい劇場」。生やさいに扮したライラックや芦屋チャンネルのスタッフがアドリブで話をしているのだが、内容が奇抜で面白い。話しているうちに政党を結成してしまったり、ダルビッシュの話題になったり、ライラックの野菜の良い所がわかったり、野菜が共食いし始めたりする。私も「里芋のサトちゃん」として今日は出演。放送なんかで話をするのは苦手だが大笑いして劇を眺めていた。

「生やさい劇場」は過去に何度か行われている。この面白さを書くほどの力はないので是非放送をチェックして下さい。過去の物をここに埋め込みます。





2012年1月26日放送分(生やさい劇場は16分頃から)


2011年12月1日放送分(生やさい劇場は16分頃から)


2011年11月10日放送分(生やさい劇場は18分頃から)




#30 蕎麦が打てた


蕎麦を打ったことは何度かあったが上手くいった試しがなかった。麺がブチブチと切れて2、3センチになってしまっていた。蕎麦粉を手に入れる度に打ってはいたものの、繋がるまで頑張ろうとは思わなかった。しかし、最近になって試行錯誤の末、二八蕎麦が打てるようになった。以前のように諦めずに打ち続けられた理由は目標となる蕎麦があったからだと思う。

食べ物の味を数ヶ月も忘れないってなかなかない。でも、夏に長野の杖突峠で食べた蕎麦の味は忘れられないほどに美味しいものだった。それのおかげで「ああいう蕎麦を自分でも打ちたい」と思い続けられた。

最初はAmazonでかなり安い蕎麦粉を買ってのトライ。以前と同じで全然つながらない。しかし、蕎麦粉の香りは強く美味しかった。youtubeなどで勉強しながら打ち続けるがそんなに上手くつながらない。つなぎの小麦粉を多くして少しつながるも、10回ほど打ってもさほど上手くならない。10回もやってここまで上手くならないのも珍しいなと思いながらも、まだ諦めない。
同じ粉はなくなったので、京都駅のジュピターという店で見つけた蕎麦粉で挑戦。意外と繋がったがまだ納得はいかない。そして蕎麦の香りは弱い。

さらに、大阪玉造のおそばどっとこむという商店に蕎麦粉を買いに行った。打ち方をアドバイスしてもらい、これなら繋がるだろうという粉とつなぎ粉との配合にしてもらって買ってきた。水回しという工程で水を入れた後、部分的にダマになった蕎麦粉を両手ですり合わせるようにほぐすという作業を教えてもらった。そうしたら繋がった。

繋がるまでの過程でいろんなことがあって面白かった。蕎麦が繋がる仕組みのことを考えたり、どうして蕎麦粉によってこんなに繋がりやすさや味が違うのか考えたり。それに、いい蕎麦粉を手に入れることも蕎麦を打つ技術のうちだなと思った。材料の仕入れも技術のうちというのは他の料理でも同じだと思うけど、蕎麦はなかなか繋がらないだけに顕著でわかりやすい。

#29 卵と人の死


また卵の話。父は小さいころは家で鶏を飼っていたので家で飼った鶏の卵って美味しかったのか聞いてみた。すると「わからない」と言う。「産みたての卵は美味しい」ということを吹きこまれて育ってきた私にとってはちょっと予想外の答えで、どういうことかと聞いていると「それしかなかった」とか「おいしいとかそういうことではない」という答えが返ってきた。そして、餌をやったり世話をしたり、ウンコまみれの卵をとって食べるという子どもの仕事が存在していて、それは楽しいことだったと言う。でも話しのなかで「貧しい」と何度も繰り返した。

そういうのが「豊か」であるような気がしていた私はそれは豊かなことなのではないかと聞いてみると、「でもそういう生活をしてたときには子どもが家に10人くらい産まれて3−4人は死ぬような生活をしてたんだ」と言われた。卵の話から死につながるとは思ってなかったので面食らってしまった。

しかも、兄弟が10人いて大人になるまでに3−4人が死んでしまうということは、辛いことではあるけれど当時は大したことでなかったと言う。だから子どもが死んでも「子どもが死んでしまった可哀想な母親や家族」という考えにもならなかったらしい。死ぬことが多いと死には慣れてしまうそうだ。その状態の良いか悪いかは父にはわからないというが、慣れてしまうものだということはよくわかるし、死が少なくなれば衝撃になるだろうなと言う。

父の中で鶏を家で飼うことと、子どもがたくさん死ぬことが近くで結びついているとは意外だった。鶏だけでなく、父にしてみればその時にあって今はない色々なことが死と繋がってしまっているかもしれない。

鶏を飼うことと子どもの死亡率が直接的に繋がっているわけではないんだろうけど、今は日常的に人の死を意識するものは何一つないなという驚きがあった。

#28 直せる靴



今日は、ブーツで出かけた。5、6年前に買った、秋から春先にかけて履くこのブーツはお気に入り。すごく履き心地がいいというわけではないのだが、修理できるというのが好きで履き続けている。

高いものではなく確か5000円くらいのもの。そんな値段の物でも直して履き続けられるんだなと思う。最初に踵のあたりの糸がほどけた時は修理に出すということに思い当たらなかった。自分で縫えないかなとか試して、この厚い皮を縫うのは無理だと困っていた時に友達が近くにある皮の工房を教えてくれた。すぐにそこに行き直してもらい、履き続けることができた。そして、2、3年後もう一度同じところを直した。

元が安いからもともとそんなに丈夫ではないのかもしれない。でも壊れたらまた直しに行こうと思っている。最初の修理が完了した時に味わった「ああこれで捨てなくて済んだ」という安心感はすごく心地よかった。2回目に直したときにはスーパー等にも靴の修理屋が入っていることを知りそこで直した。

1回500から1000円くらいの修理費でいまのところ2−3年は履ける。もう少ししたら全体的にだめになってしまうかもしれないでもそれまでは直して履きたい。

#27 テレビの評価

前の日に行ったたあつこさんの展示で久々にテレビの話をしたのでテレビのことを考えていた。テレビを見なくなったのは2年ほど前に一人暮らしをはじめたとき。特に嫌いでも好きでもなかったがあったら見るし、疲れてるときはバラエティー番組をぼーっと見たくなることもあった。わざわざ買って見るほどではないと思い、テレビのないまま生活を始めた。

しばらくすると、ニュースに関して意見を言えなくなってきたことに気づいた。人がニュースに対して「それはいい」とか「馬鹿だ」とか言ってるときに、正直言ってわかんないよと思うことが増え始めた。なんで以前は分からないとは思わなかったんだろうと考えたときに、テレビのニュースはだいたい「評価」つきで流れているんだと思った。

例えば「地球が温暖化している」それは「悪い」という流し方だ。だからそれまではニュースそのものを聞いていたのではなく、「地球が温暖化しているのは悪い」という情報を受け取っていたのだった。「地球が温暖化している」だけを聞いたときにそれがいいことなのかなんなのか、本当は私は判断できない。しかし大方そんな風に情報が流れてくるのがテレビだった。ほとんどのことは本当はわかんないんだなと思った。その起こった事自体はすごく断片的でそれがいいとか悪いとか言うためには膨大な他の知識が必要だったんだなと思った。

テレビのことを考えると評価付き、しかもその評価の理由の乏しいの意見をそのまま鵜呑みにしてたんだなと思い出す。ほんとうはばらばらで評価なんてとてもじゃないけどできないようなものを、クルッと包んではいこれは「良いです」これは「悪いです」と言ってしまうもの。それがなくなってわからなくなったときやっぱりちょっと不安だった。だから、それを信じてしまいたかったんだろうなと思う。

#27 寒い物


#26 「家のこと、お願いしますね」


先月のある日、奈良畠田で開催していたたあつこさんの「ユタカ荘の森」という展示を見に行き、日本橋のシンズキッチンというインドカレー屋に行き、さらに玉造の蕎麦粉屋に行き蕎麦粉を買うという盛沢山な一日を送った。最近は家にいることが多いので刺激的だった。

展示では、たあつこさんの絵や文や人形を見て、自分と似たようなことを考えてる人がいると思い楽しくなり、カレー屋では、家では食べれないおいしいカレーに来てよかったと思える。蕎麦屋では、今までの蕎麦の打ち方を聞いてもらって少しアドバイスを貰える。繋がった蕎麦が打てるようにもうちょっと頑張るぞと思う。

家に疲れて帰ってきて、今日は火鉢が消えたまま寝る。家の手入れはあんまりしない日だった。外に出ると家は放置されるのだなと思った。火鉢のようにそこそこ手入れをしないと使えない道具を持たなかったときにはあまり実感がなかったことだった。サザエさんでよく「家のこと、お願いしますね」と舟が出かけていくが、本当にいろいろとやることがあったんだろうな。

#26 時間の色彩


#25 火鉢のコマ撮りアニメの日2日目


コマ撮りアニメの日の2日目。午後に撮影を開始。この二日間は本当に撮影ばかりだった。やったことがないような撮影なのでいろんなことがわからない。一部分だけやり直せるならやり直したかもしれない。でも全てのシーンが連続しているため、やり直すとなると日の出のシーンからやることになるので次の日の朝まで待つことになる。そしてそれをやるほどの執念が今のところはなかった。編集を始めるとまたいろんなことを思いついたり反省したりするだろうなと思う。もっとこうであればよかったのにとか考えれるのは楽しい。

撮影ばかりしていたので、最近していたような「ていれとつくろい」のことを考える日々とはちょっと違ったように思った。しかし、いつもと違った日を送りながらいつもと同じなのは、起こっていることに対してそれの何が好きなのかどうしたいのかを考えながら、いい方法を調べたり考えたりし、それを試しながら過ごすことだ。

そこにあるものでなんとか済ませるのか、思い切って買うことが必要なのか、今は無理だけど次までに何を考え何を用意すべきか。そういうことは、何をやっていても必要なんだなと思う。それでも、上手く考えれないときもあるけど。

#25 クロスステッチ


#24 火鉢のコマ撮りアニメの日

楽しみにしていたコマ撮りアニメを作る日。日の出の明るくなる場面を自然光を使って撮りたかったため、朝早くから起きて一日コマ撮りアニメ制作。次の日に1シーンを残し撮影はほぼ終わった。なにがなんだかわからないままに十数時間が過ぎていき、残りの撮影の内容が決まりほっと一息ついた。それでも直後はなんとなくまだ渦中の興奮が収まらず、頭がぐるぐると回転を続けている感じがする。次の日の作業も楽しみだ。

火鉢の写真を撮り続けて火鉢と過ごした一日だった。毎日長時間火鉢のそばで生活しているが、その1日の大半は火鉢のことを考えていない。火鉢の隣で火鉢がどんな調子なのか見ながら過ごした。灰の埃で嫌になったり、空気が悪くなってちょっと気持ち悪くなったりもし、普段は作業しながら過ごすなかで丁度良く換気されたり空気が入れ替わったりしてるんだなと思った。

火鉢はもちろん見ていても動き続けているし、見ていない時でも同じように動き続けている。

#24 夜の地球


#23 障子が不思議


初めて障子の張替えをした。無理やり重ね張りしたことはあるが張り替えたのは初めて。やってみて変な作業だなと思った。貼ってある紙を剥がしてまた紙を張る。水で前の紙を剥がし、水っぽい糊で紙を張り、糊が乾いたところに霧吹きで水をかけ紙を伸ばす。水だらけで日本っぽいものだなと思いながらの作業。

しかし、子どもや猫がいればすぐ破れるし、紙をゴシゴシ拭いて掃除できるわけではない。そんなに張替えは簡単ではないのに1年に1回くらいは替えろということになっている。張替えにはもちろん新しい紙がいるし綺麗に見せようと思うとコストの掛かる代物。変なものを考え、そしてよくこんなものを使い続けているなと思う。

和傘も紙を枠に張る。障子紙を張って凧を作った時のことも思い出した。
張替えをしてみて障子の不思議さに気づき、障子について調べてみようかと思った。

#23 新しい表面加工


#22 イカを干す


スルメが火鉢で焼ける映像を撮りたかったのでスルメを買いに行った。しかし、スーパーを2件回っても売っていない、どうしようかとスーパーをウロウロしていたら生のイカを見つけた。そもそもスルメってこれやなと思い、iPhoneでスルメの作り方を調べ、いけると思ったのでイカを買って帰った。内蔵を出したり、簡単な処理してイカを干す。

干してみたら結構イカって匂いがする。漂ってくる匂いを嗅いで食べたくなるくらい。家の猫が寄ってきたのでイカを外に出すと今度はハエが寄ってきた。仕方ないのでまた家に入れて猫が来れない場所を探して干す。2、3日にすると、いわゆるスルメには程遠いやわらかい状態だが匂いはかなり消えた。

干すとか発酵させるという調理方法は天候などに影響されはじめはどのくらいで完成するのかあまり予想がつかない。このスルメもどれくらいで乾くかわからない。でもそれがだんだんわかってきて、こんな天気が続いてるなら何日かかるだろうとかがわかってくるのは楽しい。

撮影日にはまだ一夜干しのような感じだったけど美味しそうな映像が撮れた。

#22 空をゆく


#21 おもちゃカメラのフィルム現像

HOLGAというトイカメラで撮ったフィルムの現像ができたので取りに行くと、ネガの半分程にはなにも写っていなかった。写真を撮った時の光量が足りないからそうなるんだけど、まさかそこまで写っていないとはと思いがっかりした。

写ってない写真になにを撮ったかはもう思い出せない。でも、何か面白いと思って撮ったものが残ってないのは残念で、今度はそんなことのないように撮りたいと思った。

デジカメで撮るとその場で確認するから、後になって写ってないものがあり残念な気分になることはほとんどない。フィルムを使い撮っていても、一眼レフカメラは撮る時に光量のチェックが出来るために写ってないことはほとんどなかった。

HOLGAで撮る時は光量を確認するすべは全くなく、「写ってくれ!」というお願いをしながらの撮影だった。上手く撮りたいなら、どんな条件なら写るのか知るに経験を積まないといけないようだ。

#21 儚い先端


#20 枇杷茶と棕櫚茶


冬は火鉢で棕櫚(シュロ)と枇杷(ビワ)の葉を蒸して煎りお茶の作っている。以前、棕櫚の葉を大量にもらった時になにかに使えないかと調べたところお茶にできることがわかりやってみた。そして、枇杷の葉も試してみると美味しい。今ではわざわざ棕櫚や枇杷の葉を貰ってきて作ってしまう。

棕櫚茶は少し甘みがあり穏やかな香り。枇杷茶は棕櫚茶に比べると香ばしさがあり、麦茶に似た感じもある。でも、煎り加減で味が変化する。棕櫚を長時間煎ったところ香りが強くなり甘みをあまり感じなくなった。私は棕櫚は浅煎りが好み。

作り方は去年作ったクックパッドの枇杷茶のレシピが写真入りで分かりやすいと思うので作ろうと思う方は是非見てみてください。火加減によるけど、火鉢で蒸すのに1−3日程。棕櫚茶も同じ作り方。ガスコンロでもできるのではと思う。

もともとお茶をあまり飲まなかったというのもあるけど、もうこれでお茶は買わなくなった。今も五徳の上には葉の入った土鍋がのっている。

#20 白の色彩


#19 ほどけなさ


#19 布ナプキンなら絵本に?


10月から布ナプキンを使い始めた。10月は1つだけ試しに買ってみて、あとはハンドタオルの手作りのものと使い捨てナプキンで済ませたが、気に入ったのでさらに買い足してそれ以来ほとんど布ナプキンだけを使っている。

絵本のことをよく考えてるので、前回の生理が終わってから、使い捨てナプキンのことを子どもの読む絵本にするのは難しそうだが布ナプキンならいいのではないかと思った。使い捨てのナプキンのことならそれが必要になった小学生の女の子に話すのさえ嫌になってしまう、でも布ナプキンのことなら話せそうだ。

布ナプキンは毎回捨てるわけではない、そのことで私は体を失わない感じを得たと思う。使い捨てのナプキンのは空けた瞬間からほとんどゴミだ。それに自分の血を吸わせ捨てることは知らず知らずのうちに自分に大きな負担をかけていたと思う。布ナプキンでも、血自体はすぐに洗って流してしまう。でもその血を落とすためにゴシゴシと洗い、またナプキンを使えるようにすること、そのサイクルから体を大事に思える。

自分が嫌だと思ってることを子どもに話すのは嫌だと思う。使い捨てナプキンについてしまった血はゴミであり触りたくなくなる。でも、布ナプキンについた血はゴミではなくなった。私の血も、私が手入れしているもののひとつ。

#18 いい道具で楽に目的達成


最近高い道具が欲しくなる。箒で掃除をしていて思った。いい箒がほしい。掃除をするには掃除機もあるんだけど、一部屋だけ掃除したい時などには箒を使う。でも、毛の先が荒くて、埃をまきとってくれない。これよりちょっとでもいい箒があるのを知ってるからそれを使いたくなる。しかし、これよりいい箒があるのを知らなかったら箒が好きにはなれないのかもしれない。変なイライラだった。もし、これよりいい箒があるのを知らなかったら、この箒を好きに思って使えるのかな。

何かをするのにいい道具があれば、そのことをするのが特別なことではなくなるとは思うる。例えば、コーヒー焙煎。ずっと手で振り続けないといけないフライパンタイプのものだと、焙煎の度に疲れてしまう。でも、アウベルクラフトの焙煎キットはコンロの上にコーヒー豆を入れた器具をセットしてハンドルを回し続けるだけで疲れたりはしないから普段使いの焙煎器になる。

普段使いにするためにはある程度の質が必要だ。使っている楽しさというのはその中に見えてくる。道具を使ってちゃんと目的が達成された時の楽しさだ。掃除なら掃除、焙煎なら焙煎。質の高い道具を使えば目的は割と簡単に達成される。使いにくい道具で頑張って目的を達成するよりも、いい道具で楽に達成したい。

今使ってる箒だとちょっと掃除のハードルが上がってる。まあでも、もうちょっとこの箒は使ってみよう。

#18 「内戦の記憶」


#17 野菜を手に入れる方法


野菜を手に入れる方法が変わってきた。少し前まではほとんどをスーパーに頼っていたが、今ではほとんどスーパーでは買わなくなった。

野菜の買い方が大きく変わったのは、半年ほど前に京都府向日市に住み始めたときだ。向日市には無人販売所が結構ある。そこでなるべく買うようになった。しばらくして、前から食べたことのあった野菜の詰め合わせを宅配してくれる長野の藤井農園というところから野菜を買おうと決めた。野菜は藤井農園と近所の販売所でまかなうようになった。

今も藤井農園の野菜を買い、あとは近くのコミュニティーセンターなどで買ったものを食べている。暖かくなれば、庭にもう少し野菜がなるだろう。

そうやって食べるようになって一番良かったことはおいしい野菜が食べれることだ。特に記憶に残っているのはニラだ。ニラがあんなにむっと香るもので肉厚なのは知らなかった。そんなに鮮烈でなくても、いつも食べてたのと違うって感じることが時々ある。おんなじだと思って食べててもある日、ああここにこんな味があると気づくことがある、そんな時に新しい味を知ったと思い嬉しくなる。

#17 天然の花


#16 『森の生活』を街で


ヘンリー・デイビット・ソローの『森の生活』は1年ほど前に読んで好きになった本だ。ソローがアメリカ北東部にあるウォールデン湖の近くに小屋を建てて暮らしたことを書いている。森の生活といっても森の奥深くで誰にも会わずに生活しているわけではなく、近くの街に住む人達と交流を持ちながら暮らしている。

最初の章「経済」で、30マイル(約48キロ)離れたピッツバーグという場所にソローならば歩いて出かけていくと書いている。運賃は90セント(当時の坑夫の日給は60セント)だ。歩いて行くと1日かかるがもちろん交通費はかからない。ソローは、仕事を探し何日か働いてその汽車の券を買うよりも、時間はかかるがそこに歩いて行く方を選ぶと言う。
汽車で行けば1日時間が空くかもしれない。でも、その汽車のチケットを買うために何日働いたのだろうか。そのように考えるだけでも、汽車で行けばお金はかかるが時間があいて他のことができるというのはおかしな話になってくる。

こういうようなことは街の日常生活でもいっぱい発見できると思った。おいしいものを食べたいときにお店に食べに行くのではなく、良い材料をそろえ調理の仕方を調べ自分で料理するとか、なにか物が欲しくなったときに買いに行くのではなく、それを持っているけれど使わなくなった人を探してもらってくるとか。払うお金の額は減るけれど、ちょっとめんどくさいことは増える。

「森の生活」なんて題名がついているけれど、ソローの言っていることの中には街でできることもいくらかあるはずだ。少しでもソローの真似をしてみると、静かな朝も誰とも話すことのない一日も手に入れることができるかもしれない。

#16 人口の雑草


#15 普段使いのおひつに


おひつを使い始めてしばらく経った。だいぶ慣れてきて、使うことが普段のことになってきた。私とおひつとはそこそこ相性がいいようだ。1ヶ月が経って最初のドキドキ感がなくなった。これは植物を育てはじめて、最初にこのこはこの気温は大丈夫だろうかとか、水はこれくらいでいいかなとか思いながら過ごすのと似ている。米がおひつにくっついてしまわないかな。こんな洗い方でカビ生えないかなと考える期間は終わって、もう大丈夫だあとはじっくり使いやすくなってくれと日々それを使っていく段階に入った。

今はおひつを放っておきもしないし、構い過ぎもしない、必要なときに必要な手入れをしながら使う。調度良い。季節が変わると乾燥の速さなども変わりまた少し緊張するだろうなと思うが、今のところおひつとは上手くやっていけそうだ。

#15 湾曲する直線


#14 火鉢の曖昧さ


火鉢のよさってなんなんだろう。よくわからない。そんな問答をかれこれ1ヶ月はやっている。使う前から火鉢よさそうだとは思っていた。去年初めて使って、今年も是非火鉢だと思っていた。なのに何故よさが説明できないのか。

そんなことを考えている間、火鉢の絵を描いてきた。デッサンで十数枚は書いたと思う。すぐに火鉢は描くのが難しいとわかった。まず形をとるのが難しい。更に、色と釉薬のせいで光の反射が激しく陰影もつけにくい。デッサンの本では薦めないタイプの被写体だ。デッサン嫌いになりそうだと思いながらも描いていた。それでも、しっかり見ることで少しずつ火鉢に見えるように描けるようになった。

そんなことしなくてもすぐに火鉢が火鉢に見えるように描くことが出来る方法はある。火鉢の周りにあるものを描くことだ。その状況を描くことによって、お碗や香炉に見えてしまいそうな上手くない絵の火鉢を火鉢にすることができる。つまり火鉢を描いているわけではない。

そう考えたときに火鉢の好きなところは、火鉢の周りの状況なのかもしれないと思った。火鉢は誰かが世話しないと消えてしまう。贅沢にもいつも火がついているから自分も含めなんとなく人が居着く。火があるから思わず何か焼いて食べたりしてる。火鉢がその状況を作る。それが好きなんだろう。

火鉢の火の物理的な温かさはもちろん好きだけどちょっと伝えにくい。火鉢そのものの絵を正確に描こうとするかのようだ。でも、そういった火鉢があったからできた楽しいことなら言いやすい。

そうやって火鉢が起こす楽しいことを伝えようとすると、でもそれは火鉢そのもののよさが起こしたことなんだと伝えたくなってしまう。そこでまた、火鉢そのもののよさってなんなんだ、どうしたら伝わるんだ、とやっぱり考えこんでしまう。

#14 象の眼


#13 卵に血が入ってる


最近買う卵には血が入ってたり、何か入ってたりすることがよくある。「昔は卵を割ったら血が入ってるとかよくあったんだよ。」と言われたことがある。その時には、そういうもんはもうないんだと思い込んでしまった。スーパで買った卵に血が入っていたのを見た覚えはない。だから、近所の卵販売機から卵を買い始めて、卵に血が入っていたのを見たときには嬉しかった。鶏は血の入っていない卵ばかりを産むわけではないからスーパー等へ出荷するために、血卵をはじいているらしい。うちで食べるのにはそんなことしなくていい。

別に血卵を好んで食べたいわけではないから、血卵はなくても困らない。しかし、ないと思い込んでいたものがあるとわかったことが面白かった。血卵はずっと存在していたし、私の生活にないだけだった。そんなことは考えてみればあたりまえだけど、「ない」と決めつけてたところから出られなかった。その決めつけから解放されるのが快感だった。

#13 複雑な区画と路地


#12 誰かの部屋にならない



「自分の部屋」というものを持たなくなったのはすごく久しぶりだと気づいた。12歳のときに初めて「自分の部屋」を持った。今は、台所、作業部屋、寝室、庭と用途に応じて空間がある。

部屋は誰かが所有するより用途によって使い分けられたほうがずっと自分にできることが増える。個室を持つことや一人暮らしをするのは基本的には自分にできることを減らしていくことだ。このことは一人暮らしをした時に考えはじめた。私一人に一つの台所。私一人にひとつのトイレ。私一人のための部屋。何か変だなと思う日々を送った。自分一人が使うためだけのものを揃えることになるから、誰かと共同で使うよりもコストがかかる。そんなコストを払えるわけもないのでそこで自分にできることは制限されていった。

子ども部屋のことを考えた。「子どもに部屋がないなんて」「個室があっていいね」そんなふうに言われ始めたのはいつのことだろう。でも、子どもに子ども部屋を与え、子ども用のものを与えるのはそれ以外のものをその子から奪うことではないのかとふと頭をよぎった。それは二重の意味で起こりうる。その子どもが他の部屋で「そこはあなたの部屋じゃないんだから。それはあなたのものじゃないんだから」と自室以外の場所での行動の制限や誰かのものを使うことに対するを制限がかかっているのではなかろうか。そういった状況が当たり前になってしまうと将来においても誰かのものを使うことに抵抗を覚えるようになるのではないか。「自分のもの以外のもの」を使おうとすると窮屈な気分になり、それを乗り越えながらでないと使えない。

こう考えるのは私自身がそうであるからだと思う。

もし、中学生のときにに急に母が私の部屋にやってきて、「今日からこの部屋は寝室。みんな寝たいときにはここにくるの。隣は書斎。本読んだり、勉強はそっちね。私の部屋は作業部屋で、裁縫でも絵を描くのも好きにしたらいい。一回は上映室だ!さあ模様替え。」なんて言い出したらどうなっていただろう。今考えれば楽しいけれど、間違えなく一騒動起こっていた。

数の限られている部屋を有効に使って自分ができることを増やすにはどうしたらいいか。個室をなくすことはきっと有効だ。共有する面倒くささ、今まで遭遇したことのない場面にでくわす戸惑いなど苦しいことがあるだろう。でも、いろんなことができるようになっていくんじゃないかと思う。

#12 細かなタッチで


#11 「使いにくい」に気付けない


去年からは菜切包丁を使うようになった。野菜が下までサクッと切れる。ネギを切るときにいつも一番したのがつながって上手く切れないなと思っていたが、そういうことがなくなった。
1年ほど前までほとんど包丁は洋包丁の三徳包丁ばかり使っていた。大学生の頃はまな板もしっかり使わない生活で刃あたり10センチほどのナイフをよく使っていたが、それからまた似たような三徳包丁。

菜切包丁を使うようになって、三徳包丁で野菜が下まで切れない理由が刃の高さが短いので柄からまな板までの距離があまり無く、包丁を握ったときに手がまな板にあたっているからだとわかった。野菜をザクザク切る用途にはあっていなかった。

三徳包丁というのは日本で戦後に考案されたもので魚、肉、野菜のどれにでも使えるようになっている包丁らしい。どれにでも使えるかもしれないけど、野菜を切るには野菜に特化した菜切包丁が切りやすいのは当然だと思った。

菜切包丁を使うまで、三徳包丁が使いにくい思うことはなかった。包丁ってそんなもんって思ってたからだ。実家ではまな板を使い野菜を切ることが多い。今なら、菜切包丁を是非買って欲しいと思う。

色々な道具を使って少しずつその道具がなぜいいのかを言えるようになってきた。まだまだ、使ったことのない包丁がいっぱいあり、使いたくなってしまう。

#11 頑丈なとっかかり


#10 産まれてきた卵


卵はスーパーで一番安いのを買っていたが、近所の卵の販売機で買うようになった。網袋に入った卵が中が見えるコインロッカーような販売機で売られている。お金をいれボタンを押すと扉が開いて中の卵が取れる。卵の大きさによって入ってる個数が違う。200円で7から12個ぐらい入っている。今まで食べていた卵に比べて殻が厚く身もぷりぷりしてて美味しい。7個入りのも買ったことがあるし12個入りのも買ったことがあるが、使い勝手からだいたい10個以上入っているのを買っている。

同じ網袋の中はだいたい同じ大きさに統一してあるけれど、スーパーのもののように揃っているわけれはなく大小様々。殻にも柄があったりする。卵を割ってみると血がはいってたり。そういうことを楽しんで見てる。

卵を買ってくるだけで楽しくなれるし、買いに行くのも楽しくなった。小さいとき鶏を飼いたいな、産みたての卵を食べたいんなとぼんやり考えていが、またそんなことを考えるようになった。それぞれ違う卵を見ていると、それが本当に産まれてきたものだと実感する。

#10 後から設計図




#9 がらっと変える


ご飯の印象が変わってきた。ご飯がべとべとしたものであるという印象がほとんどなくなった。おひつが育ってきたおかげでおひつにご飯がへばりつくということもない。ご飯がお茶碗にへばりつくこともない。鍋には少しひっつくけどこれは上手く蒸らせば解消できるはず。前から同じように炊いても蒸らし時間で鍋にくっついてしまったり、すっきりとれたりすることがあった。蒸らし時間を調節して試してみよう。

玄米を買って自宅で精米し土鍋で炊いておひつに移してから茶碗によそって食べている。ご飯が美味しいと分かるようになった。でも、そんなふうにご飯を炊けるようになったのはこの二、三ヶ月のことだ。その前には、その生活の中でできることをやっていた。精米はしないけど土鍋で炊くとか。おひつは使ってないけど精米して炊くとか。

このあいだ最近のご飯は本当に美味しいなと思ったときにそういったいろいろなことを考えた。今ある生活を続けながら、土鍋使ったりおひつ使ったりと簡単にできることを取り入れてご飯を美味しく食べるっていうのはいいと思う。でも美味しいご飯のために生活をがらっと変えてみようっていうふうに考えるのもおもしろい。ご飯以外のことでもそれがしたいと思ったらそういう風に生活を変えてみたい。

#9 亀裂は常に美しい


#8 ありふれた郷愁


#8 万年筆のなにもない跡


万年筆を買ってまだ数日しか経っていなかったころ、夜布団に入って電気を消してしてからメモしたいことが思い浮かんだことがあった。電気を付けずに枕元にあった紙に万年筆でメモした。

翌朝、紙にはなにも書かれていなかった。まだ使い方も身に付けておらず手にも馴染んでもいない万年筆で暗い中、字を書くことはできなかったようだ。本当に線一つなかったことにちょっとびっくりした。もしかしたら書いたのは夢かもしれないと思うほどだ。

万年筆で使い始めて最初の鮮烈な思い出である。その後、早く馴染んで欲しいなと思い、よく使うようになった。最初のうちは角度により書けない線があったが、だんだん書けるようになる。しばらくは書けてもざらざらした感じや引っかかる感じか残るがそれもなくなりするすると書けるようになる。ペンを走らせやすい方向があるなとかそういうことに時々気づく。そういうことを繰り返しながらすっかり馴染んで、今ならもう夜の暗闇の中でも書けると思う。

#7 万年筆の存在感


2010年の夏に万年筆を買ってそれから約1年半ほど使っている。当時はボールペンが好きだった。書き心地には不満がなかった。でも、薦められて万年筆を買った。2万円以上もする筆記具を買ったのは初めて。ボールペンは貰うことも多く頻繁に失くしていたが、万年筆は失くすことなく今まで使い続けられた。ボールペンを失くすこともなくなった。貰いもしなくなった。

万年筆1本で筆記具の概念が変わったようだ。「必要なものを必要なだけ」という考えが筆記具には適応されていなかったと思う。小学校になると鉛筆の嵐が、ある時期になるとシャーペンが増え始め、そしてボールペンが溢れていた。粗品などで貰う機会がものすごく多かった。実家には使わなくなった鉛筆が缶の中にあふれている。鉛筆、シャーペンの中には書き心地が悪いものも多かった。

万年筆には存在感がある。高いからという理由だけでなく、これを失くしたらどうしようもないと思ってしまう。書きやすいこと、インクを何度も充填できること、ある程度修理できるということがその大きな理由だと思う。筆記具ってずっと使えるものだと思ってなかったなと万年筆を使うことでわかってきた。

#7 記憶の窓


#6 商店街は「面倒くさい」?


大阪の吹田に住んでいた頃、家から歩いて10分くらいのところに豊津ファミリーという1階と地下に商店が入っていて2階以上がマンションになっている建物があった。地下は肉屋、八百屋など食材を売るお店が、1階には本屋や時計屋、クリーニング屋などが入っていた。商店街がそのまま建物に入ったような感じだった。

その豊津ファミリーで地下の食料品売り場の改修工事が行われた。正確にはいつだったか覚えていないけれど15年ほど前で私は小学生だったと思う。そのときに地下のお店はなくなってスーパーになった。何故たくさんあったお店をひとつにしてしまうのか分からなくて、その理由を母に尋ねた。いっぱいお店があると何回もお金を払うのは面倒くさい。何か買い忘れたとき同じお店に戻ってもう一度精算しないといけないのが嫌。とにかくばらばらだと時間がかかってしまっていけない。そういうことを言われた。

頻繁に行ったわけでではないけれど、祖母に連れられながらいろいろなお店を回ったのを思い出し、そうだな確かに時間はかかるな。そして時間がない人が困るんだろうなと思った。その時は時間がないなんてことに実感がなかったし、時間をかけずに買い物ができる便利さに対して少し違和感を持ったが、その違和感は次第に消えて行った。そうやって時間がかからないで買い物ができることを便利でいいことだと思ってしまっていた。

多くの人が食品の買い物に時間のかけれない生活を送りはじめたというのは悲しいなと今は思う。単に忙しくなってしまったということだけではなく、食品の買い物という行為の価値そのものがどんどん低くなっていったのかも知れない。バイトをするのには時間をかけれる、ゲームをするのには時間がかけれる、でも食品を買うのには時間がかけれないんだ。そういう価値観が自分に埋め込まれていったことは悔しいことだと思った。

#6 角が丸くなってきた


#5 信頼の反復


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