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ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

#12 誰かの部屋にならない



「自分の部屋」というものを持たなくなったのはすごく久しぶりだと気づいた。12歳のときに初めて「自分の部屋」を持った。今は、台所、作業部屋、寝室、庭と用途に応じて空間がある。

部屋は誰かが所有するより用途によって使い分けられたほうがずっと自分にできることが増える。個室を持つことや一人暮らしをするのは基本的には自分にできることを減らしていくことだ。このことは一人暮らしをした時に考えはじめた。私一人に一つの台所。私一人にひとつのトイレ。私一人のための部屋。何か変だなと思う日々を送った。自分一人が使うためだけのものを揃えることになるから、誰かと共同で使うよりもコストがかかる。そんなコストを払えるわけもないのでそこで自分にできることは制限されていった。

子ども部屋のことを考えた。「子どもに部屋がないなんて」「個室があっていいね」そんなふうに言われ始めたのはいつのことだろう。でも、子どもに子ども部屋を与え、子ども用のものを与えるのはそれ以外のものをその子から奪うことではないのかとふと頭をよぎった。それは二重の意味で起こりうる。その子どもが他の部屋で「そこはあなたの部屋じゃないんだから。それはあなたのものじゃないんだから」と自室以外の場所での行動の制限や誰かのものを使うことに対するを制限がかかっているのではなかろうか。そういった状況が当たり前になってしまうと将来においても誰かのものを使うことに抵抗を覚えるようになるのではないか。「自分のもの以外のもの」を使おうとすると窮屈な気分になり、それを乗り越えながらでないと使えない。

こう考えるのは私自身がそうであるからだと思う。

もし、中学生のときにに急に母が私の部屋にやってきて、「今日からこの部屋は寝室。みんな寝たいときにはここにくるの。隣は書斎。本読んだり、勉強はそっちね。私の部屋は作業部屋で、裁縫でも絵を描くのも好きにしたらいい。一回は上映室だ!さあ模様替え。」なんて言い出したらどうなっていただろう。今考えれば楽しいけれど、間違えなく一騒動起こっていた。

数の限られている部屋を有効に使って自分ができることを増やすにはどうしたらいいか。個室をなくすことはきっと有効だ。共有する面倒くささ、今まで遭遇したことのない場面にでくわす戸惑いなど苦しいことがあるだろう。でも、いろんなことができるようになっていくんじゃないかと思う。
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