お知らせ

ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

#150 はじめてのオーダーメイド革靴

半年ほど前にオーダーしていた革靴が出来上がった。靴のオーダーなんて初めてでどんなものができるのか楽しみにしながらそのお店、吉靴房へ。実は半年前にどんなものを頼んだのか忘れてしまったというのもドキドキに拍車をかけていた。

幅が細めで、割とシンプルなデザインの靴がでてきた。半年前から好みは変わってなかったようで好きな感じの靴だった。ジーンズにも合いそうで嬉しい。お店のホームページではここに掲載のあるレザースニーカーという商品だった。革の色を選んで、底の部分も変えたので少し雰囲気が写真のものとは違う。

嬉しくなったのでそのまま履いて帰りますと伝え、履いて行った靴を包んでもらい、出来上がった靴に履き替えた。しかし、お店から2キロほど歩いたところでご多分に漏れず靴擦れ。靴紐が少し緩かったのも影響して余計に早く痛みが出たかもしれない。いつものスニーカーに戻す。

その次に履いた時には少し履きやすくなったような気がした。どんな風に変化していくのか、これから履きこんでいくのが楽しみ。

#149 掃除機が箒へ 

掃除機のない生活が始まってから少し経つ。掃除機は前から好きではなかったのに、本当にない生活をしてるのは初めて。掃除機の代わりにが活躍中。

掃除をした後の床の感じは、掃除機をかけるより埃っぽい。掃除機のように埃を吸うわけではないから、舞い上がった埃はそのうち落ちてくる。だからちょっとでも埃が見えるのが気になるなら掃除の頻度は増えて大変かもしれない。でも、私にとってはなくなって特に困ったことは今のところない。

箒掃除が掃除機に比べて好きなところが幾つかある。階段の掃除を上の段から下の段に向けて掃いていくところ。掃除機だとこれは逆。だから2階建ての家をまるごと掃除するときには掃除機だと一階から二階へ掃除し、箒だと二階から一階へと掃除したくなる。箒で二階から順に一階へそして玄関へと掃いていく流れは掃除機に比べてテンポがよく気持ちいい。

そして、埃の量が見えてしまうこと。ちりとりの上に埃なんかがドサッと溜まると、よくやったとばかりに気持ちよくなる。

あとは、手軽なところ。ミシンを使うとき、糸くずは作業終了まで盛大に散らかしたままにするんやけど、作業後には夜中でも「とりあえず箒かけとくか」と思える。

このところ家ではものをどんどん減らしていて、掃除機がなくなったのもそんな変化のひとつだと思う。掃除機から箒へのちょっとした変化なんだけど、少し生活が変わり、どじどじものを減らす(そして、場合によっては好きなものに置き換える)ことでこんな変化がどしどし起こってるんだろうなと思う。

そんな家には引越ししたての雰囲気があり。実は、家の中は実はホコリだらけだ。

#148 今回のルームシューズは。

これもちょっと前の話だけど、ルームシューズを買った。ハフリンガーというドイツでは有名なメーカーのものだそうで、調べてみると丈夫で暖かそうなので購入を決めた。価格は8000円ほどのもの。

冷え性な上に、家が寒いのでしっかりしたルームシューズが欲しい。近くのイズミヤで買った前のルームシューズは用は足すが、2年ほどでぼろぼろになってしまい残念だった。そのことを反省して選んだ今回のものはどうなるだろう。

今のところ履き心地は良好。サイズもぴったりで蒸れたりする感じもない。長持ちしてくれればいいなーと思っている。

#2 「お気に入りジーンズを手縫いでつくろうワークショップ」を開催します!

2013年1月12日(土)に2回目の「お気に入りジーンズを手縫いでつくろうワークショップ」を開催します。
今回は兵庫県芦屋での開催です。破れたジーンズを直してみたいという方、是非お越しください!


<<お気に入りジーンズを手縫いでつくろうワークショップ>>

お気に入りの服ほど使い込んでボロボロになってしまう。
すれて、薄くなってしまっても着続けたい。
そんな服を直すワークショップです。
破れたことが分からないように直すのではなく、逆に目立たせて、
破れるまで着込んだお気に入りだってことがわかるつくろいをします。
カラフルな糸で彩りあざやかなつくろい。また楽しんで着れるように。

■日程:2013年112日(土) 13:30-16:30

■参加費:2500円(材料費込)
■持ち物:つくろいたいジーンズ
    (針・鋏・糸・あて布などの道具類はこちらで用意しております。使いたいあて布などあればお持ちください。)
■対象:お気に入りの服を自分で直して着続けたい人
■定員:4名(要申し込み。道具に限りがあるため参加希望の場合はメール等でご連絡ください。)
■その他:室内飼いの小さな犬がいます。アレルギーのある方はご遠慮ください。

■場所:ふとっちょの木(阪神芦屋駅より徒歩2分) 
〒659−0064  兵庫県芦屋市精道町5−22
(普通の民家ですが、2階に大きく「ふとっちょの木」と看板があります。

当日は表にチラシなど貼りますがわからない場合はお電話下さい。)

大きな地図で見る


■プログラム
13:30ー13:40 見本を見ながらの全体説明
13:40ー14:10 縫い方・あて布つけ方説明
14:10ー16:15 つくろい
16:15ー16:30 ふりかえり

■申し込み先・連絡先
ていれとつくろい 担当・山根美緒
080−3841−6195
mio.yamane@gmail.com



↓繕いジーンズのサンプルです。


#147 「買い物上手」って言われたみたい。

もう1-2週間ほど前になるけど、リュックサックを作った。リュックを作るのは初めてだったけど、こんなのが欲しいという見本があったの目標へ向かってどんどん制作は進んでいった。背の部分に板を入れてみたり、布のリュックだけど補強に革を使ってみたりと初めての割には結構冒険をした。

作ってすぐに使い始めた。今、2個目のリュックの制作にかかっていて、使いながら何か改良できるところはないかと考えている。ところどころ強度に不安があるので、なんとかしたいと考えている。

作ってみていろんな難しさを感じたけど、材料調達はとても難しく、作ることの重要な要素だったんだとやっと分かってきた。自分の欲しいものなんてなかなかない。こういう材料さえ手に入ればいいものができるのにと思ってしまうことが多く、見つかった欲しいものに近いものを使った。よい材料が見つかれば強度もあげられる。「買い物上手」って言われてみたいと思ったことなんかなかったけど、ちょっと言われてみたくなってきた。2個目のリュック制作に向けてまた少しずつ材料探し中。

#1 ワークショップのページ作りました。

11月に「お気に入りジーンズを手縫いで繕うワークショップ」を開催しました。(開催の報告はこちら)。

これからも続けて行きたいなと思っているのでワークショップの専用ページを作り、こちらにお知らせや実施報告をまとめることにしました。

年明けの1月には兵庫県芦屋市で、2月には京都府宇治市にある自宅で繕いワークショップ開催を企画しています。近々ワークショップの詳細を掲載予定ですので、よろしくお願いします!

今後繕いのワークショップのみならず、いろいろやっていけたらいいなーと考えてます。







#146 寒くなると灯油屋さんはやってこない

昨日やっと灯油が買えた。車もないので灯油は移動販売車で買おうと思っていたが、なかなかタイミングよく買えなかった。冷え込みは厳しくなってきたけど、たっぷり着込んでご飯は温まるものを食べる、そして椅子に座っての作業のときは湯たんぽを足元に置くのが寒さ対策。

どうやらこの辺りには灯油の移動販売車は遠くからやってきているらしく、寒くなるとやって来なくなる。寒さで灯油を買う人が増えてうちに来る前にすっからかんなんだろう。急に冷え込んだ日の翌日は一日家にいたけど販売車は来なかった。

買う人が多ければなくなるというのは当然のことだけど、こと燃料に関してはそんな感覚ほとんど持っていなかった。暖房は長い間ガスと電気しか使って来なかった。

そんなことが新鮮で「今日も寒いから灯油屋はやっぱり来ない!」と喜んでしまっていたのだが、流石にそろそろストーブが使いたいと思っていた。家にいる日が今年は少ないので、なかなか買いにくい。昨日はレンタカーして買いに行くかと思っていたがお昼すぎに移動販売車がやってきた。

#145 直してあるものが好き

たまに街なかで修理してあるものを見かけることがある。例えば、駅の階段が欠けているのをコンクリートのようなもので継いであったり、どういう事情で破損したのかわからないけどトイレの便器も継いであったりする。このブログにも「#44 コンクリート継ぎ」という写真が載っている。

わざわざ修理して使ってあるのが好きなのか目についてしまう。なんで壊れたんやろう、なんで直そうと思ったんやろう。新品に取り替えることもなく大胆に修理されたものは見ていて楽しくなる。

そんな場所を見つけたら写真に撮って場所を記録しています。いつか写真をまとめれたら面白いなと思ったりしてます。

#144 繕いワークショップ開催しました。



11月10日に「お気に入りジーンズを手縫いで繕うワークショップ」を東山いきいき市民活動センターで開催しました。
2名が参加してくだいました。初めての繕いワークショップで緊張し過ぎてしまったところもありましたが、全体としては縫うこと、直すことを楽しんでもらえたんじゃないかなと思ってます。

最初に見本を見ながら糸やあて布の説明をし、イメージを持ってもらってから実際に道具を使っての説明をしました。まずあて布の付け方を説明し、その後に縫い方です。

説明が終わり作業が始まると、しゃべることもなくなりもくもくと針を進めていました。隣の部屋で音楽を練習する音や、話し声が聞こえてきて落ち着いた雰囲気に浸ることができました。

ジーパンとデニムのジャケットをお持ちになった方は、ジャケットに丸く空いた穴をなんとハート型に切り、あて布をあて、模様にされていました。あて布は持参された藍染めの布を使われ、同系色で綺麗に仕上げられていました。
繕うジーパンはないけどワークショップに来たい!と言ってくださった方は、私のジーンズを繕ってくれました。縫うことも久しぶりだったそうですが、楽しんでもらえたようです。今日も私はそのジーンズをはいています。


いろんな人の力をかりてなんとか初めてのワークショップを開催することができました。ありがとうございます。

いろいろと改善点も見え、次に向かってまた頑張っていこうと思ってます。次回は来年1月開催予定です!


■その他感想・改善点
・布・糸・ジーンズに関する知識を高めていくことがやっぱり重要。
・ジーンズを持ってこない方にたいして何かプログラムを用意したほうがいいのか?例えば、運針、ブランケットステッチを使った小物、サンプルジーンズへの繕い。
・玉結びが上手くできない。
・接着芯に印がつけやすいものを探す必要がある。持参したペンは使いにくかった。針ペンはどうかとの提案があったので試してみる。
・糸を立てる台に改善が必要。糸巻きの中に差している芯棒をもう少し削らないとつっかかって使いにくい。
・ワークショップで使った道具をその後自分で買い揃えることが難しい。わかりやすい道具リストがあれば家でもやりやすいのではないか。
・広報について。チラシを毎回作成するのではなく、活動紹介のパンフレットを作り、開催日程などはホームページにあげるように変えてはどうか。
・「家で続きをやる」「もっとやりたい」という声が聞けて嬉しい。




ワークショップの様子です。


#143 絵本の楽しさ


「絵本ってうちの中で幸せのイメージがある。だから、だれかが幸せになるような絵本をいつか描きたいな」と大学生の頃に思ってから10年近く経っている。そんな絵本は描いていない。

いったい何が私を幸せにしていたのか具体的なことはわからないままだった。でも、思い返してみると私は絵本を読んですごくたくさんのことをやったんだなと気づいた。

草だんごをつくったり、河原で芋煮会をしたり、野菜はんこで遊んだり、パンを作ったり、ボードゲームを作ったり。ちょっと思いつくだけでもそれくらいのことは絵本に触発されていやっている。

絵本は「楽しそうやってみたい」って思わせるだけじゃなくて、「こうやったらできる」ということも具体的に説明してくれていた。それは、大人向けの本では書かれているような「塩大さじ1」「15分蒸す」といった説明の具体性はないんだけど、手順がイメージできて自信をもってやろうと思えた。そう思わせられるのは凄いことだ。

だから、実際にいろんなことができるようになっていった。一人ではできないことは、絵本を読んでくれた母親がいろいろと手伝ってくれていたと思う。

絵本を読んで私も弟も母親もいろんなことに挑戦して楽しかったんじゃないかなと思う。時には「そんなのできないよ」なんて思って取り組む意欲がなかった人も巻き込んだんじゃなかろうか。

出来ないって思い込んでたこと、やってみようとも思わなかったことのやり方や楽しさを伝えて、誰かに「やりたい。やってみよう。よしやるぞ!」って思ってもらえたら嬉しい。自分がそうさせられたときの感覚が大好きだから。絵本は何度も何度も私をそういう気持ちにさせた。

私もそんな絵本描けたらなーと思う。

#142 繕いジーンズ



絵日記ではなく写真日記ですが・・・

「お気に入りジーンズを手縫いで繕うワークショップ」の参考になればと今まで繕ったジーンズの写真をとりました。


割とどんな色の糸でも合ってしまうのがジーンズの凄いところ。いろんな色を使ってカラフルに仕上げてみたり、単色で柄のようにしてみたり楽しんでます。

写真ではわかりませんが薄くなった膝の部分には裏側から当て布をして、ちゃんと着続けられるように工夫をして繕ってます。

そんな感じでワークショップ準備着々と進んでいます!


#141 「お気に入りジーンズを手縫いで繕うワークショップ」

 


「お気に入りジーンズを手縫いで繕うワークショップ」を開催します!

このブログでもちょくちょく繕いのことを書いてきましたが、ついに繕いワークショップをやります!
「お気に入りジーンズ」を色とりどりの糸を使い直すワークショップです。

是非お越しください!

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お気に入りの服ほど使い込んでボロボロになってしまう。
すれて、薄くなってしまっても着続けたい。
そんな服を直すワークショップです。
破れたことが分からないように直すのではなく、
逆に目立たせて、破れるまで着込んだお気に入りだってことがわかるつくろいをします。
カラフルな糸で彩りあざやかなつくろい。また楽しんで着れるように。

日程:1110日(土) 13:30-16:30
場所:東山いきいき市民活動センター
参加費:2000円(材料費込)
持ち物:つくろいたいジーンズ
    (針・鋏・糸・あて布などはこちらで用意しております。
     使いたいあて布などあればお持ちください。)
対象:お気に入りの服を自分で直して着続けたい人

【プログラム】
13:30ー13:40 見本を見ながらの全体説明
13:40ー14:10 縫い方・あて布つけ方説明
14:10ー16:15 つくろい
16:15ー16:30 作品発表・ふりかえり

【申し込み先・連絡先】
山根美緒
080−3841−6195
mio.yamane@gmail.com

【プロフィール】
主催・山根美緒
長く使える物、修理して使いつづけられる道具が好き。すり切れた服も気持よく着たいと思い服のつくろいを始める。かっこよく繕えるように糸の色や素材などを試行錯誤を続けている。1985年生まれ。京都府宇治市在住。京都市立芸術大学美術研究科中退。

#140 ソファーも繕った

枠が木製でクッションが布のソファーを繕った。布の部分が破れて綿(わた)が飛び出してしまっていたのでその部分にジーンズを当てた。

穴はしばらく開いたままになっていて、そのため少しずつ裂け目が広がり中の綿もボロボロになっていたのがピッタっと止まったようだった。破れていることを時々気にしながら使っていたが、もうそんな心配もしない。

あて布にしたジーンズは前にもらったがサイズが合わずにあまり着ていなかったもので、その糸を解いて布状にして使い、そしてその解いた糸を使い縫った。針は真っすぐのものでは縫えないので、半円状に曲がっているマットレス針というものを使う。

ブランケットステッチで一針一針縫っていった。ジーンズは分厚く硬い布なので割とすぐに指が疲れたり、針を押している部分が疲れてくる。何日間かにわかって縫い上げた。

もう完成させてから1ヶ月くらい経った。ソファーの繕いは初めてだったけど気持よく使えている。

#139 中華鍋コーヒー焙煎

コーヒーの焙煎は最初はアウベルクラフトのコーヒ焙煎機を使い、この2年ほどはそれを参考に作った自作の焙煎機を使っていた。更に、2-3ヶ月前からは中華鍋やフライパンを使うようになった。中華鍋と木べらだけでコーヒー焙煎ができる。「この焙煎機が壊れたらどうしよう」。そんな心配もせずに使える日常の道具でできることが嬉しい。

上に貼ったチラシはフリーマーケットでコーヒーの生豆を売りたくなって作ったもの。中華鍋ならうちにあるから焙煎できる、と思って挑戦してくれる人がいればいいなと思った。生豆はちょくちょく輸入食品のお店などで見かけるので気になった方は是非やってみてください。焙煎したてのコーヒーはおいしい。

中華鍋では焙煎機使うより焙煎ムラがでやすい。でも混ぜかたを変えてみたり、火加減を調節してみることで味の違いを楽しむことができる。

#138 繕いのワクワク

昨日から派手に破れた綿のシャツを繕い始めた。繕おう、繕おうと思って出していたシャツは襟・袖・カフスがボロボロになっている。「10月のキャンプに来ていきたいから直してほしい」と言われて、やる気が出てしまった。キャンプ用の衣装を頑張って作るぞ!といった気分。

どんな色の糸がいいか、どんな当て布がいいか、どんな縫い方がいいか考えながら作業を進める。キャンプにふさわしい繕いはどんなだろう。

繕いや修理というと価値がマイナス(使用不可)になってしまったものをなんとかしてゼロ(使える状態)まで戻すというイメージがあった。このシャツを繕っていると、もともと持ち主にとって価値のあったものを更に価値のあるものにしてやろうとワクワクしてくる。穴があくほど気に入って着ていた服を着れるように、新品を着るよりも楽しめるように。

#137 好きなものが分かっていく

少しずつ家のものを減らしている。食器類・カラーボックスなどの戸棚などなど、使わないものを減らしていっている。捨てるのには勇気がいるもので、使ってないからといって急に捨てることもできないけど、暫くすると踏ん切りがついていくようでじりじりと減っていく。

ものが減っていくのは気持ちいい。部屋が広くなっていく。部屋でいろんなことができる気がする。あんまり好きでない掃除も前より楽になった。

ものを減らそうとして、どれがいるのか、どれが要らないのか考えていく中で自分の好きなものやその理由を考えるようになった。1年前とは買うものが随分変わったんじゃないかなと思う。

まだまだものが多いなと思うから、少しずつものを減らしていくだろう。いったいどこまで減らすのか、どれが残るのかまだわからない。買い足すものももちろんある。自分が好きな家財道具だけになっていくのかなと考えると、これからの部屋の変化が楽しみだ。

#136 時間があったり、作業場があったり

お盆休みが始まって大分ゆっくり家にいれる時間ができた。時間があるといろいろとやってみようという気になるのか、昨日の夜からコーヒー豆の運搬に使われる大きな麻袋を加工して小さな麻袋を作っている。うちはコーヒー豆を生豆で大量購入するので、そのおまけでついてくる豆60キロを入れる大きな麻袋が3つほどあった。この麻袋の布地がとても丈夫そうなので、家で使いやすように小さいサイズの袋にしようとしている。

荒い麻で編みあげられた袋は切ったり縫ったりするとどんどん繊維がほどけて埃が出てきた。少し切るだけで繊維が舞い、一針縫うごとに糸と布地が擦れることによって埃が出る。30分もそんな作業をしていると、普段は居間となっている部屋の床全体に埃の膜ができた。

こんなに部屋中が埃っぽくなるのに誰も文句を言わない。外でやってくれとも言わない。自分自身もそんなことやってはいけないなんて考えもしない。そんなことは最近当たり前になっていたが、ちょっと考えてみて恵まれた状況なんじゃないかと思った。

この暑さのなかで外でやる気にはならないし、他の作業場を探す根性もないと思う。そういうことを考えていたら袋作りは少なくとも今日のところは断念しただろう。

今日作業していた部屋は食事をしたり、本を読んだり、くつろいだりしていることが多い。でも必要なら作業にも使うし、用途は狭く制限していないので今日も思いっきり麻袋が作れた。

#135 おひつの箍(たが)がずれた

去年の10月頃からお櫃を使い始めて初めて箍がずれた。洗っていると木を締め付けて形を保っている金属の輪がふっとゆるんでびっくり。木が収縮して箍が緩んじゃったみたい。

そのまま、おひつの幅が太くなっている方へぎゅっと押し戻すとまた簡単にはまった。以前はまっていた部分にくっきりとあとが残る。慌てて押し込んだのでちょっと斜めにはめ込んじゃったけど、もう簡単に動かないしまあこれでいいか。

おかしなことに箍がずれて大興奮、大喜び。ちゃんと使ってればずれることも奥にもう一度ハメなおせば直ることも知っていたからだと思う。普段使って、ちょっと壊れて、ちゃんと直せる。小さなことだけど楽しかった。

#134 無理のない使い方

使い方が悪くガタがきたようで6月の末から足が痛くなってしまいました。おそらく以前、慢性疼痛という病気で何年も痛かったところの再発。この1年と少しは薬を飲まずに痛みなく過ごせたのでてっきり治ったと思ってました。だから、痛みを感じたときはがっかり。

4月から仕事を始めて立ちっぱなしのことが増えたり、人に会うことが増えたりと慣れないことをすることで足への負担やストレスが増えたことで痛みが出ちゃったんじゃないかなと考えています。

今の仕事をしながらの生活だとまた薬を飲まないと痛みでやっていけないので、とりあえず病院に行って薬を飲む相談をしようと決めました。痛みがあるとイライラして、上手くできないことがどんどん増えていきます。痛みからはとりあえず逃げる!

でも目指しているのは薬を飲まなくてもいい生活。薬を飲みながらでも仕事をするんではなくて、薬を飲まなくてもよいような生活スタイルを作っていくことです。どんなものかまだわからないけど、長時間の立ち仕事が苦手とか、少なくとも苦手なことをやらなくていいようにしていこうと思っています。

「自分が何に向いてるか」というのはよくわかりませんが、「何に向いてないか」はある程度わかるのでそれを避けて暮らしていくと楽なんじゃないかなと思うようになりました。道具もそうだけど無理やり使って壊しちゃったり傷つけたりするのは損だなと思いました。

#133 毎日同じ服

「のび太君はどうして毎日同じ服なん?」と子どものときに聞いたことがある。漫画の登場人物たちは大抵同じ服を着続けていて、それが現実離れしてるような気がしてた。同じ服を毎日着てるなんていけないとか、洗ってないだろうから汚くてだめとか考えていたと思う。(同じ服を何着も持っている可能性はあまり考えたことがなかった。)

でも、私も今はかなり毎日同じ服を着ている。汚れていなければ毎日洗う必要のなんてないし、実際普通の生活ではそんなに汚れない。気に入った同じものを毎日着てるほうが安心。だから、服は洗濯のために季節ごとに数着あれば間に合う。

でも貧乏性で貰いまくった服が押入れや棚に溢れてしまった。なんだかそれがかっこ悪いなと思いはじめた。着たいか着たくないかよくわからないけど溜まってしまった服をなんとかして、毎日でも着たい服をちょっと持ってるように変えていきたいなと思う。

#002 「収納」は日常の美を殺す

「収納」という言葉が押入れやクローゼットのようなもののことを指すようになったのはいつからだろうか。中に入れてフタをする装置である。つまり、そこに入れられたものの存在を消してしまう場所である。「収納」になんでも入れて見えなくなっていると一見、部屋は「美しく」感じるが、それと同時に「収納されたもの」は「人目につくと困るもの」となる。つまり「美しくないもの」として認識されるのだ。

台所の流しの下の空間や吊り棚などの「収納」も、鍋やボウルを入れてフタをする。使い込んだ中華鍋の黒光りする鍋肌も泡だてできめ細かく磨きこまれたボウルの内面も「収納」されたとたんに見せてはいけないものとなる。

「収納」とは日々使う道具の美しさを否定する行為だといえる。

民芸運動が見出した「用の美」というのは「用いていることの美」であって、単に使いやすさの合理性を長き時間にわたって追求された造形の美しさをだけ指す言葉ではないはずだ。

だから日常的に使っている道具はなるべく「収納」しないで見える場所においておこう考えている。そのためには工夫がいるがそれはとても楽しいことだ。この大きなお盆は部屋のどこにどのように置けばいいのか、おひつはどこがいいのか。そういうことを考えだした途端、日常的な生活の場が美術館か博物館になったかのように思えてくる。

今日まずやってみたこと。台所の流しの下の空間についていたフタと吊り棚のフタを外した。中が丸見えだから、これからどんどん美しいものが美しく置かれていくはずだ。

#132 イーゼルの処理

小学校1年生から使っていた携帯用のイーゼルを持っている。油絵を習い始めたときに買ってもらったもので、それから高校を卒業するくらいまでは度々使っていた。あちこちに油絵の具が付着し、油のシミもある。たたんで固定するときに使う皮のベルトもとうとう切れた。そのイーゼルを処分することに決めた。

実は長いこと使っていない。金具の歪み・緩みがあること、もともと携帯用であることなどの理由で安定性が低く使いにくい。外で絵を描くようなこともないし、家でもイーゼルを使うよりは机で描くことが増えた。


引越しを何度か経ても捨てられなかったイーゼルの処分を決定するのは大変だった。なんだかとてもしんどい気分になる。画材道具はどういうわけか私には処分しにくいもの。


でもそれを決めてから何日か経って、今度はすがすがしい気分になってきた。もしかしたら、その使いにくイーゼルを何とか使わないと、と見る度に考えていたのかもしれない。

#131 修理された包丁

冷凍していたものを切ったために刃が欠けてしまった包丁を修理に出していた。出して1週間ほど経ち、もうできているはずなので取りに行ってきた。

持ち帰りやすいように新聞紙に包んで紐で縛ってありその場では見れなかったので、家までじりじりと我慢。解いてみると綺麗に直っており、まだ少ししか試していないが切れ味も良くなっていて大喜び。思わずトマトが切ってみたくなる。


包丁を修理に出したいとか研ぎに出したいとか、あんまり考えたことなかった。以前は特に使いやすいとも思わなかった包丁を使っていたので、なかなかそういう風に考えれなかった。最近はとりあず道具はいいのを買わないと、とは思うもののその道具選びがものを作っていく過程でかなり難しい部分だろうなとも思ってる。

#001 捨てる労力

うちの実家もそうだが、だいたいある程度以上の年齢の人の家というのは使わないものであふれている気がする。いや、若い人でもあふれている人はいる。その場合、規模が違うが、それは単に置いておけるスペースの大小の問題なのだろう。となると、人というのはスペースに応じてものを貯めこむ性質があるということになる。

洋服はタンスから溢れてそこらに積み上げられ、家具、特にソファーが物置台になっている。それらのものは最初必要があって、おそらくある程度の金額を出して購入したものだ。そのために働いてお金を貯めて、あるいは何かを我慢して、その対価でどうにか購入したものだ。でも今は必要なくなって、それでもそこにある。

不思議なのは、だいたいそういう状況に対してその持ち主は「何とかしたい」と思っていることだ。自分が手に入れた物だから、置いておきたいと思っていて、置いておく場所があるなら遠慮なく置いておけばいいのに、なぜかそのことを対処すべきこととして考えている。

「できることなら誰かにもらってもらいたい」と思っていても、もらってもらえるものはごく一部で大半のものはそのままになっている。捨てればいいのにと思うけれど捨てられない。なぜ捨てられないのか。

それはつまり捨てるのに労力がかかるからだ。これはゴミ捨て場までそれを持っていく肉体的な労力というよりは、ある程度苦労して手に入れたはずのものを無価値なものと認定しなおすことに必要な精神的な労力だ。他人にもらってもらうならその価値は保たれるが捨てるとなると無価値になる。手に入れた時の自分自身の価値の付け方を自分自身で否定しなければならないのだ。

捨てるための労力が手に入れる労力よりも大きいと物は溜まっていく。逆だと溜まらない。基本的に人は手に入れる労力よりもそれを捨てる労力のほうが大きいという性質があるのだろう。そういうふうに進化したのだろう。

#130 家が楽しい

兵庫県和田山のあーす農場というところに行った。そこでは、かなり自給自足に近い生活をしている。初めて五右衛門風呂を薪で焚いたり、鶏の卵をとったり、田植えをしたりとても楽しかった。父の子どもの頃の生活をいろいろ聞かされて、そういうのやってみたいなと思ってたことをかなりたくさんやったり、見れたりしたと思う。

帰りの電車で、田舎でそういう生活をしてみたいと思ってた時期もあったけど、家庭菜園をしたり、トイレ用水に雨水タンクを作ったり、七輪で料理したりで田舎に住んではいないけどそこでやりたいと思ってたことを住宅地でやりながら結構楽しく暮らしているなと思った。


一軒家で庭があるというのは恵まれてるとは思うけど、住宅地ではできないやろなと思い込んでしまったことをちょっとずつやれるようになっていっている。まだまだいろんなことが出来るようになりそうやなと思ってるので楽しみだ。

#129 鋏に油をして

冬に買った糸切り鋏をこないだジーパンをほどくのに使ってしまい、そのあとギシギシと切りにくくなって悲しくなってしまった。多分歪んでしまったんやろなと思って、直せないかお店に聞きに行くと油をつけただけでほとんど元通り直ってしまった。

歪んじゃったかと思ってましたと言うと、「それも少しはあるけどこのくらいなら油で大丈夫。切りにくくなったら無理して切らずに油を差してみてください」とのこと。布を切っているうちにもともと鋏についていた油がどんどん拭き取られていくから、時々油を含ませた布で拭くといいらしい。

ホームセンターなんかで売ってるのでミシン油を使うようにとアドバイスされ帰ってきた。ちょっとこれで安心。

ついでに刃の欠けてしまった菜切り包丁の修理も頼んできた。もう何日かでできあがるので楽しみだ。



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時間をかけてでもしっかり描いた絵を載せる方が、毎日できるなかで描いて載せるよりよいかと思ったのでそうしようとしてたけど、やっぱり下手でも時間がかかってなくてもなるべく毎日描く方法に戻すことにしました。書きたいことがあっても絵が描けないと思って辞めることも何度かあったので。しっかり描ける日があればそうします。

#128 糸切りばさみを購入

京都三条通にある菊一文字という刃物屋さんで糸切りばさみを買ってきた。買ったのは長さ10センチほどの和鋏で4,750円のもの。鋏にそんなにお金を掛けたのは初めて。

お店には大きさや形などの違う何種類もの和鋏があった。それに同じように見えても値段が違うものもある。眺めているとお店の人が来ていろいろ教えてくれた。まず値段の差は使われる金属の種類で変わるらしい。高いもののほうが頻繁に使っても研ぐ頻度が少なくてすむ。これは、他の包丁なども同じだそうだ。だいたい値段は2,000円から9,000円ほどのものがあったが、割とよく使うので4,750円のものにした。月に1度、ボタンをつけるくらいなら安いもので十分とのこと。


後は形の違い。まずは刃の長さ。布を裁つのにも使うのなら長めのものがいいらしいが、ほとんど切らないので短いものにした。全体の大きさにも何種類かあったが、これは布を用意してくれ実際に切らしてもらい持ちやすい105ミリのものにした。これがだいたい標準だそうだ。ちなみに小さいほうが安い。もう一つは持ち手にビニールが巻いてある物とそうでないものがあった。これも好みで持ちやすい方をと言われたので、使ってみて巻いてない方に決めた。


買ってきてさっそく家で使ってみた。糸をパチンと切る音が心地いい。今まで裁ちばさみで糸まで切っていたので断然切りやすい。これから使っていくのが楽しみだ。

#127 コンクリゴミ箱の魅力

この間行った国立民族学博物館の今和次郎の展示で知った「超日常観察記」という本にコンクリートのゴミ箱についての記述があった。私にとってコンクリートのゴミ箱はどういうわけか魅力的なもので、その記事を読んでいた。

小さい時にはその箱はとても気になる存在だったけど、それがゴミ箱だと知るのはかなり経ってからだった。よく知っている他のゴミ箱とはあまりにも形も素材も違う。もうそれを実際に使っていた家も少なかったようだから、使うものという認識もなく遺跡のようにも見えた。

あまりコンクリートのゴミ箱のことを気にすることもなくなったなと「超日常観察記」でゴミ箱が詳細に観察されているのを見て思った。

一見使い勝手の悪そうに見える重たそうでゴタゴタしたものが結構好きなのかもしれないなと思う。コンクリートのゴミ箱に火鉢もそうだが玄関先や庭に転がってるのを見るのは楽しかった。ゴミ箱も火鉢も実家にはなかった。目にするものは植木鉢や棚として使われ本来の用途は残していないからか、その用途を知るのには時間がかかった。なんでそんなものが好きなんだろう。存在感は大きいものたちだけど。

#126 道具で変わる

私はこれじゃないとダメという風に思ってしまいがち。お弁当を持って行かないとダメとか、この位は掃除できてないとダメとかいう風に考えてしまいがちなことがある。でも、なんだかそこまで考えるとしんどい。

家で作った弁当が美味しいことや、ある程度は片付いた部屋が好きだということを知っていれば十分だった。弁当を作るのに時間がかかるから、疲れているときはお店で何か買ってきて食べればいい。掃除だってやりたいときにやりたいだけやればいい。そのくらいに考えてる方が得。お気に入りのものでも毎日それが好きなわけでもないし、使い捨てのものも使う。

でも、基本的には自分の好きな事が自然とやりたくなるようになってるのがいいなと思う。数カ月前に買ったお釜で炊いたご飯はとても美味しい。だから、ちょっと疲れててもお釜でご飯炊こうっていう気になったりする。そういう風に思わせる道具は楽しい。でも、やっぱり面倒なときはあって、そういう時別の方法を考えればいい。

#125 繕い

久しぶりにたっぷり繕った。ズボンの破れているところから薄くなっているところまで、全部見つけて修復してやるぞ!と張り切って始めた。あて布はあまり使いたくないので弱くなっているところは刺繍のように細かくチクチク縫っていくという方法なので結構時間がかかる。今日半日繕って、結局まだ半分も終わってないなという感じだ。

凝ってくると面白いもので色や縫い方の好みも分かってくる。今日、面白かったのは、破れているところはあて布をしてもいいけれど、あて布をしてないように見せたいということだった。布をあてといてもその後、周囲を縫いまくるとあまり布を当ててることがわからなくなる。それが好きだ。


できたところを最後に見なおしてみると、色がとても気になった。配色はほとんど勉強したこともなく苦手だ。でも、かっこよく繕いたいのでちょっと考えていかないと。

#124 京都御所

京都御所を見に行ってきた。行きたくなったのは本を読んでいて御所には襖絵がたくさんあるということを知り見たくなったからだ。しかし、残念ながらたくさんの襖絵は見られなかった。唯一見れたのが見学コース前半にあった「諸大夫の間」の3室にある虎、鶴、桜の絵だった。その他の建物は、障子などが閉まっており中が見えなかった。残念。

襖絵以外にも、最近知った蔀戸(しとみど)や舞良戸(まいらど)も実際に見れて面白かった。やっぱり、板の扉だと中が真っ暗で、寒い冬に戸を閉めながらも明かりを取り入れられる障子の発明は画期的だっただろうなというのがわかる。他には写真ではあまり思わないのだが、全体的に中国風で時々萬福寺を思い出しながらの見学となった。


御所の建物は以外に新しく確か大正時代に建てられたものが多いとガイドの人が言ってた。全体的に建物の荘厳さはあまりない。非常に厳重な警備の中、団体としてガイドされながら建物を見るというのは不思議なものだった。

#123 家にあるもの


昨日、国立民族学博物館の展示に行く前に、その隣の民芸館で「みんげい市」をやっていたので見に行った。器や布が置いてあり、よさそうなものが多いのでちょっと欲しくなってしまう。

こんなにも家に物が溢れてるのに欲しくなってしまうのは本当に不思議だけど、時々欲しいなと思うものはやっぱり出てくる。そして、今日になって家でいつも使っているコーヒーカップを眺めて、「これ結構好きだな。新しいの要らないな」と思った。

最近になって知ったのだが、マザー・テレサが世界平和のために何をしたらいいかと問われたときに、「家に帰って家族を愛してください」と言ったそうだ。既に家にあるものの大切さとか、それが好きであることを認識し大切にするのは以外と難しい。お店に行って何かを欲しくなってしまうのは、自分の身近に目を配れずにどこかに出向いて世界平和に貢献したいと思うのと似てる気がした。

みんげい市を見たあと、何故普段は食器なんか余ってるから貰って欲しいと思ってるのに買いたくなってしまったのか考えていてそんなことを思った。自分の家にあっていつも使っている道具のいつも考えていなかった好きなところが見えてきた。

#122 「今和次郎 採集講義」展@国立民族学博物館

国立民族学博物館で開催中の「今和次郎採集講義ー考現学の今」を見に行った。今和次郎という人のことは全然知らなかったけど、民博の展示ということと暮らしとか日常に関係してそうだなと思ったことから見に行った。

全体的に面白い展示でどこが特にというのが難しい。最初からやけにスケッチが上手い研究者だなと思っていたら東京藝術大学卒業だったようで、絵を見ているだけでも面白かった。

モンゴルの遊牧民の家財道具展示では遊牧民の所有物の少なさが分かる。そして、「このバケツは息子が生まれた年に商売人からかったの」といったようにその家のひとがもののことを説明している。必要最低限のものしかなく買うとということは大騒動なのかもしれないなと思った。

学生服のどこがほつれていくかを図示したものなどは、繕いをよくやっているので面白かった。私の服も繕うたびにカルテのようにどこを繕ったかなど記録したら何かわかるかもしれないなと思う。

民家から始まり服そして家財道具全般まで幅広い展示だがまとまりがあるように思った。生活のひとつひとつのことに「それはなんで?」と考えた人なんだなという気がする。学生服のほつれだって、単に「ほつれた、治さなあかんわ」と思ってもスケッチを取らないだろうし、ある家族の一日を詳細に記録したりもしなかっただろうなと思った。そんな単なる記録のなかに時々、今当たり前だと思っている日常に批判的な意見が混じってたりしてびっくりする。

展示は6月19日まで。関連の企画もいくつかあるのでまた行ってみようかなと考えている。

#121 つばめ

京都の叡山電鉄一乗寺駅から歩いて5分ほどのところにある「コーヒーと定食 つばめ」という食堂に行ってきた。行きは京都府立大学のほうから歩いて行ったが、カフェや美容院の多い地域だった。

ガラス張りのすっきりした感じのお店にはあまり装飾はなく、中古の椅子や机が並んでいた。棚に並べられたお皿や料理器具などの実際に使うものが壁を彩っている。

道に面したガラスの壁際に置かれたソファーから日が暮れ始めた外を眺めていると、植木に絡められた電飾にぱっと光が灯った。電飾なんてなんでそんなもの点けんねんと普段なら思ってしまうのだがちょっと楽しくなってしまった。


定食と赤ワインを頼んだ。雑穀ごはん、鶏の揚げ物、カブの酢の物に切り干し大根などがでてきた。ゆずの香りのするカブの酢の物がとても美味しい。特に印象に残るような味ではないけれど、毎日でも食べれるような美味しさがあった。一乗寺はほとんど行くことのない場所だけど、つばめにはまた行くかもしれないなという気分になった。

#120 ひろびろ

部屋の片付けをして、台所にカウンターのように部屋の真ん中においてあった家具をどかしてしまった。突然部屋が広くなったように見えた。でんぐり返りとかできそに思えてきて、多目的ホールのようだった。
突然だだっ広くなった板の間の部屋には違和感があった。畳だとそこまでは思わなかったかもしれないが、ある程度は物がある方が家っぽいと思ってるんだなと気づいた。置いたほうがその空間を使って何かをしている気になれたりする。初めて一人暮らしをして3畳のへやがまるまる空いたときに、わざわざダンボールで棚を作ってその上に置物を置いたりしていた。


暫くしてそんなもの実は見てないと気づき、棚を除けてしまったら広くなったのでそこにイーゼルを立てて絵を描いたり、寝る場所を移したりしはじめた。


今回もそんなことが起こればいいなと期待している。板の間の広い空間が出来た。今までは場所がなくてできないと思ってしまったことも、広くなったから思い出すこともあるかもしれない。

#119 丈夫そうな鞄を購入

yahoo auctionで落札したショルダーバッグが届いた。丈夫な鞄が欲しくてオークションの出品商品をいろいろ一緒に見ながら探してもらった。買ったものは1940年代のフランス軍の鞄だそうで、丈夫なキャンバス地と革でできている。送料などを入れてだいたい4,000円。

A4の書類がちょうど入る大きさ。今まで使っていた鞄より少し小さめなので、これから少し持ち歩くものの量を減らそうと思う。


古いけど倉庫にずっと入っていたのか使われた形跡はなく、長い間保管された独特の臭がする。70年間も保管されたなんてすごいなと思う。使われてない革は硬くて使いにくい。これからどんな風になっていくのかなと楽しみ。長い間使えそう。

#118 布ナプキンで外出

布ナプキンを使いながら初めての大規模な外出をした。その日が一番重い日だったが、朝6時過ぎに家を出発し午後9時前に帰宅するのに2枚の布ナプキンと1枚の使い捨てナプキンで済ませた。

布ナプキンを使い始めてから思ってたことだけど、きちんとしたものなら布ナプキンの方が長時間安心していられる。しかも割と動いても漏れる心配も少ない。この日は公園で遊んでいたので、走ったり、滑り台を滑ったりといろいろしたが心配せずに過ごせた。

#117 七輪の焼肉

昨日は七輪で焼肉。肉はレバー、センマイ、ハチノスなどのホルモンを京都市伏見区の大手筋にある岡田食品で買ってきた。他にも3種類ほど買ったが名前を忘れてしまった。ついでにすじ肉も買ったが、ここのすじ肉は美味しい。

小さい頃からバーベキューセットに親しんでしまったせいが、焼肉を七輪でなんて考えられなかったけど使ってみると七輪のほうが使いやすいし肉も美味しく焼ける。

家の周りにすこし火を起こすスペースがあるなら、焼肉をするのに炭さえもいらない。乾燥した竹や木材に火を付け、炎や煙がおさまりおき火になったところで肉を焼いていく。

食べ終わっても、火がまだ残るってるので火を見ながら外で話し込む。まだ夜は外にいると少し寒いが、火が付いていると丁度いい。

#116 和蝋燭のゆらゆら

夕立が降ったので和蝋燭を出した。半年ぶりの和蝋燭。蝋燭の光はゆらゆら揺れるので見てると疲れてくる。部屋のあちこちに出来た影もゆらゆらする。部屋の角に置かれた一斗缶からの反射がきれいで、いつもより一斗缶の存在感が増している。

和蝋燭のなにが好きなのかよくわからないけど、部屋の雰囲気はガラッと変わる。蛍光灯の点いた部屋にいる時とはやりたいと思うことが変わる。例えば、蝋燭のもとではブログを書きたいとは思わない。今は電気をつけている。

風呂からあがると蝋燭はもう消してあった。部屋の中に燃えた臭いが残っていた。この臭いは大好きだ。

#115 iPhoneを壊した

ポケットから出したiPhoneをそのまま落としてしまい画面がばりばりと割れてしまった。またやってしまった。去年はMacBookのキーボードにお酒をかけてしまい壊してしまった。

どうしようと思いそのまま近くにあったソフトバンクストアに行ってみた。もちろんそこでは直してもらえない。定員にiPhoneケースを薦められ、初めてケースが必要かもしれないと思った。


iPhone購入から1年は入れると聞いていたAppleの保証プランのAppleCareにまだ入っていなかったので今から入ろう、と思ったらどういう訳かサービスが終了している。ソフトバンクの保証に来週あたりに入れるみたいやけど、なんだか嫌になってきた。


iPhoneやパソコンを壊さないように気をつけるのはきっと無理だ。壊すのを前提にして保険をちゃんとかけとかないと、と後悔。まだ買って1年もしてないiPhone。近いうちに直す。

#114 ハンドバック繕い

破れ始めたと書いたハンドバックを直してみた。破れたところにジーンズ地をあてて刺繍用の太い糸で縫ったり、取っ手などを同じ糸を使いブランケットステッチで補強したりした。

合成皮革に針が簡単に通るんやろかと思いながらも通してみると、太い刺繍針なら簡単に通るのにはびっくりした。でも、破れかけの部分はもうもろくなったプラスチックみたいに弱くなってるから、下手に針を入れるとそれだけでどんどん破れ目が大きくなっていった。斜めに針を入れないようにしたり、既に破れている箇所から少し離れた場所に針を入れるように心がけた。

1時間ほどかけて見た目には満足できるものができた。やっぱり生地がよわってるのでこれからどうなるか不安だけど、破れっぱなしをほっとくよりずっといい。

#113 傷が見えたっていい

何かが壊れたりして繕おうとするときに、壊れたことが分からないように繕う方法と壊れたことがわかるけど使えるようにするように繕う方法がある。例えば陶器であれば、金継はあきらかに壊れたことがわかる直し方。衣服であればかけつぎは穴が空いてなかったかのように直し、あて布をして直す方法もある。

私はどちらかというと壊れたことがわかってしまうような直し方に興味があるなと思う。技術がないから分からないように自分では直せないからというのもあるだろうと思う。でも、なんで一度は傷ついたことが残ってしまう直し方に興味があるんだろうと考えていた。

傷ついても別にいいじゃないかと思いたいのかなと思った。私は自分が失敗したこととか、嫌だったことや、好きな人が過去にした気に喰わないことをなかったことにしてしまいたくなることがよくある。けど、そういう考え方があまり楽とか得だとか思わなくなってきたのでなんとかしたい。迷惑かけたなら謝って、上手くいかなかったなら方法を変えりゃいいだけ。

なにか物が傷ついたときにそれがなかったように直さなくても、まあ傷ついちゃったけど仕方ないね、上手く使えるように直してみよう。一度傷がいったことはわかるけどそれでいいね、と思いたい。少しの傷で全部を捨ててしまうのも嫌だし、傷をなかったことにしてしまうのも息苦しい。そういう自分の過去に対する思いをそのまま繕いに反映してるのかもしれない。

#112 ハンドバックが破れはじめた

3年ほど前に買ったハンドバッグの表面が破れ始めた。合成皮革のハンドバッグはちょっと直せそうな感じがしない。なんでこの鞄を選んだんだろうと考えていた。

鞄を買いなさいと叔母に貰った商品券を持って、なれない百貨店をうろうろしてなんとか買ったものだった。多分当時から革はかっこいいと思ってたけど、高い革の鞄を買うほどお金を払いたくなかったので丁度貰った1万円で買える範囲の革っぽいものを買ったんだろう。

今となってみれば、そこまで高いものを買いたくなければ、綿のある程度丈夫なものを買っていればなんとか直せたかも知れないのになと思う。でも、その時は革が買えないならせめて革っぽいものを!って思ったんやと思う。

なんで買ったんやろう、とは思うものの3年使ってある程度気に入ってしまった。治す方法を考えつつ、まだまだ使っていきます。

#111 大事にしたい物

100円で買ったコップが大事にできないで1万円のお椀が大事にできるのは何でなの、とかペットボトルは捨てれるのにステンレスのボトルはそう簡単には捨てれないのはなんでなの、と思った。今までは安く買ったものは直そうともしないし大事にできないから値段も高く高品質なものをと思ってたけど、値段が安いから大事にできないってちょっと変だ。

誰かが付けた値段によって自分がそのものの価値を何年も引きずってしまうっておかしなことやなあって今更ながらに思った。1000円のユニクロのTシャツでも、好きになってしまい繕ってまで着たいと思ったりすることがある。今まではそういう気持ちを大事にできないところがあったが、存分に大事にしてやろうと思えてきた。

手仕事の高い技術によって作られたものはやっぱりすごいなと思うし、使い勝手のいい道具も多いから大事なりやすいとは思う。でも、安くても大量生産品でも好きなものは好きだし直してでもずっと大事に使いたいようなものはある。

#110 充填式のペン

少し前の記事で製図ペンの話をしたが、使い捨てでない製図ペンを買った。ロットリングのイソグラフ(ペン先0.1ミリ)。カワチやナガサワ文具にもあったが、ネットで買うのが安かった。

使い捨てのものとの最初に気づいた違いがキャップの閉め方だった。使い捨てのものはカチッと音がなるまで押し込んで閉めるものだが、ロットリングのものは回して閉める。それぞれ、嵌合(かんごう)式と螺子(ねじ)式と呼ばれる。螺子式の方が気密性が高く乾きにくいらしい。
使い始めて暫くたった。使い捨てのものと違いペン先が痛んでくることもまだない。ペンを振ることでインクを送ることができるので、長い時間書き続けてもペン先のインクが少なくなってかすれてしまうということもなく使いやすい。使い捨てのものは暫く描いているとカスカスになってしまったりしていた。


使う頻度が多いならイソグラフがいいと思う。でもほっておいたらインクは固まってしまうようだし、使い捨てのものも結構インクが持つのでたまに使うくらいで、書き心地はそんなに気にしないというくらいなら、ステッドラーのピグメントライナーなどで十分なんじゃないかと思う。

#109 繕いものがいっぱい

酒を買いに行ったついでに酒屋の隣にある古着屋に寄ってみた。あるのはずっと知ってたのに入るのは初めてだった。

ちょっと疲れてたのでジーンズのコーナーだけ見ようとまずはレディースのコーナーへ。ダメージジーンズが結構多い。明らかにデザインとして破いたものが割とある。その中に、着てるうちに破けたであろうものや、デザインなのか着ているうちに破けたのか分からないものも混じっていた。

それと裂けたところや薄くなったところに布をあてたり、ミシンを掛けたりして直したものもあった。これも破れたから直したのか、そもそも直した感じのデザインにしたのかよくわからないものもあった。メンズも同じ感じだった。

こんなにも繕ったものや破れたものを売ってるのかとびっくりした。繕ってでも服を着たい人って結構いそう。
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