10月から布ナプキンを使い始めた。10月は1つだけ試しに買ってみて、あとはハンドタオルの手作りのものと使い捨てナプキンで済ませたが、気に入ったのでさらに買い足してそれ以来ほとんど布ナプキンだけを使っている。
絵本のことをよく考えてるので、前回の生理が終わってから、使い捨てナプキンのことを子どもの読む絵本にするのは難しそうだが布ナプキンならいいのではないかと思った。使い捨てのナプキンのことならそれが必要になった小学生の女の子に話すのさえ嫌になってしまう、でも布ナプキンのことなら話せそうだ。
布ナプキンは毎回捨てるわけではない、そのことで私は体を失わない感じを得たと思う。使い捨てのナプキンのは空けた瞬間からほとんどゴミだ。それに自分の血を吸わせ捨てることは知らず知らずのうちに自分に大きな負担をかけていたと思う。布ナプキンでも、血自体はすぐに洗って流してしまう。でもその血を落とすためにゴシゴシと洗い、またナプキンを使えるようにすること、そのサイクルから体を大事に思える。
自分が嫌だと思ってることを子どもに話すのは嫌だと思う。使い捨てナプキンについてしまった血はゴミであり触りたくなくなる。でも、布ナプキンについた血はゴミではなくなった。私の血も、私が手入れしているもののひとつ。