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ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

#29 卵と人の死


また卵の話。父は小さいころは家で鶏を飼っていたので家で飼った鶏の卵って美味しかったのか聞いてみた。すると「わからない」と言う。「産みたての卵は美味しい」ということを吹きこまれて育ってきた私にとってはちょっと予想外の答えで、どういうことかと聞いていると「それしかなかった」とか「おいしいとかそういうことではない」という答えが返ってきた。そして、餌をやったり世話をしたり、ウンコまみれの卵をとって食べるという子どもの仕事が存在していて、それは楽しいことだったと言う。でも話しのなかで「貧しい」と何度も繰り返した。

そういうのが「豊か」であるような気がしていた私はそれは豊かなことなのではないかと聞いてみると、「でもそういう生活をしてたときには子どもが家に10人くらい産まれて3−4人は死ぬような生活をしてたんだ」と言われた。卵の話から死につながるとは思ってなかったので面食らってしまった。

しかも、兄弟が10人いて大人になるまでに3−4人が死んでしまうということは、辛いことではあるけれど当時は大したことでなかったと言う。だから子どもが死んでも「子どもが死んでしまった可哀想な母親や家族」という考えにもならなかったらしい。死ぬことが多いと死には慣れてしまうそうだ。その状態の良いか悪いかは父にはわからないというが、慣れてしまうものだということはよくわかるし、死が少なくなれば衝撃になるだろうなと言う。

父の中で鶏を家で飼うことと、子どもがたくさん死ぬことが近くで結びついているとは意外だった。鶏だけでなく、父にしてみればその時にあって今はない色々なことが死と繋がってしまっているかもしれない。

鶏を飼うことと子どもの死亡率が直接的に繋がっているわけではないんだろうけど、今は日常的に人の死を意識するものは何一つないなという驚きがあった。
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