繕わないといけなくなるまで履いた長い時間があり、 繕うことで、これからまたともに過ごす時間が生まれる。 |
前回のジーンズ・刺し子ワークショップをやろうと誘ってくれたなっちゃんと一緒に、
手縫いで甚平作りをしています。
「たくさんものがあってすべてを大切に扱うことができるんだろうか?」
と、作業中ふと気になって口にすると。
「大切に出来る量を考えないとね。」
となっちゃんが言いました。
なんでもかんでも大切に扱うというところではなく、
どれくらいのものを自分が大切に扱うことができるか
考えていくというのが新鮮でした。
大切にするというこは、そのものと関わっていくこと。
だから、限られた時間の中で自分が大切にできる量には
限度があるんだなと思いました。
たーくさんものがあって、それを押入れにしまいこんで、
「大切にとってあります。」
って違和感があります。
いや、自分でも言っていたんですが。
でも、ほってるだけじゃないのか、と。
場所があって押入れに入れているのは悪いことだとは思っていません。
でも、自分が大切にしているかというとそういう感じがしませんでした。
せいぜいできることは(実際に来るかはわからない)来たるべきそれを使う日のために、
適切に保管することです。
何かを大切にしているというのは、
実際にそのものを使っている時間だったり、
そのものを考える時間だったり、そういうことだなと思いました。
自分の時間は限られているんだから、
そんなに多くのものを大切に扱えるわけがない。
だから自分が扱うものの量とか
自分が何を大切に扱っていきたいか考えないといけないんだと、
うっすら考えてきたことが言葉になって出てきた感じがしました。
多くのものを大切にしなければいけないと、
強く思ってましたが、
最近それはちょっとずつ減ってきました。
たまたま身の回りにあった、
ちょっと気に入らないものを無理に使って、
身を削ることもないじゃないかと思っています。
大切にしたいものを見つけられることがすごく気持ちいいことなんだな。
どちらかというとそっちを見ていきたいです。
とはいっても、
染み付いたもったいない精神が好きなものを見つけるのを
邪魔しにやってきたりします。
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とうとう絵も写真もない絵日記になってしまいました。
追記:翌日に写真を追加しました。