お知らせ

ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

【絵日記 #183】ゆっくり作られる萬福寺の壁


うちの近所には萬福寺というお寺があって、この辺にくるまでは知りもしなかったが結構有名なお寺らしい。「黄檗に住んでます」と言ってもピンとこなくても、「萬福寺という寺の近く」というと分かってくれたりするのでびっくりする。

今日も萬福寺の前を買い物の途中に通った。

正面の門の周りの壁を工事していた。この壁なんだかずーっと工事している。最初は正面右手から始まり、今は左手をやっている。

いつからやってるんだろう。ちゃんとは覚えてないけど結構寒い時期から。

通る度にいつもやっていて、ほんとにずーっとやってる。
作業自体はそんなにしてないのかもしれない。今日も人はいなかった。土でできた壁なので乾かしたり、いろいろ時間がかかるんかな。

ずーっと、ずーっと工事中。

「いつまでやろうんだろう。何をやってるんだろう。」と思いながら、ゆっくりゆっくり進んでいくのがなんだか悪くない。

ずーっと、ずーっと工事中。

時々、近寄って見てしまう。工事が終わった右手側は真っ白いきれいな壁になっている。こんなに壁を作るのに時間をかける人がいた、ということにびっくりする。

【絵日記 #182】自分が持ってるものが自分


家電や服のリスト(絵日記#180#181)をブログに載せようと思ったときに、数えたり、分類すること、リスト化していくことにワクワクした。でも、途中からだんだん後ろめたいような気分になってきた。家電のときはメーカーや型番まで載せようかと考えたけど、最終的にはぼんやりとした分類になった。リストはなんとなく面白みに欠ける。


このリストからは私がどんな選択をする人なのかわからない。例えば「ミシン 2(台)」はJUKI本縫いミシンDDL 9000BJUKI ジューキ 1本針3本糸差動送り付きオーバーロックミシン MO-03Dだ。「冷蔵庫 1(台)」はハイアール 106L 2ドア冷蔵庫


こんな情報から何を読み取るかは人それぞれだけど、「わざわざそんなミシンを買う人」であったり、「なんでその冷蔵庫にしたんだろ?」とか考えることができる。


リストに型番などを書かなかった理由は多分こういう細かい情報から読み取れることをこと隠しておきたかったからだと思う。


そんなことを考えている時に、河井寛次郎「火の誓い」を読んだ。ものとそれを買った人の関係について書いてある。ちょっと引用。


もの買って来る 自分買って来る

もしか自分以外のものを買って来た人があったなら、自分はその人を見たい。人は言うであろう。嫌だったけれど仕方がなかったから買ったのだ。こんなものは自分のものでも何でもないのだと。しかしその人は仕方がないという自分以外の何を買って来たのだろう。(『火の誓い』p230)


家にあるものが何なのか具体的には言いたくなくなったのは、ちょっと「仕方ない」自分を隠しておきたくなったから。隠すこと自体はともかくとして、家の中のものを好きなものとそうでもないものに分けて、好きなものは自分です(自分らしい)と言い、そうでもないものは自分ではありません(自分らしくない)と思い込んでしまったら危険な感じがする。自分の一部を自分でないと言っているから。でも隠すことは、そういうことを助長しそうな気がして、そういう意味ではやっぱり危険だと思う。

仕方がない部分を自分自身だときちんと認識すれば、自分の関与できる範囲がアメーバのようにびよーんと広がる感覚がある。自分自身は変えれる余地がある。



【絵日記 #181】服カウントアップ



家電を数えると、他のものも数えたくなった。今日は服を数えてみる。私は服をどれくらいもっているのか。

こないだ、ラジオを聞いていてDJが「もったいない」について面白いことを言っていた。もったいないからものが捨てれないというけど、要らないものを持っていると要るものとか好きなものが埋もれてしまう。そうなってしまう方がもったいないんじゃないか、というようなことだった。

今日は服を数えながら10点以上を手放すことを決めた。ずっと服には無頓着にしてきたから要らない服がたくさんある。ちょっと気に入らなくても貰ってしまい着てないものとか。着てても実は好きではないものとか。

1年ほど前から考えて服を買うようにもなった。減らしたり、足したりしながら適正を探していこう。やっと服に興味を持ち始めた。

【5月24日の服の数】
・トップス 39
・スカート 6
・ズボン10
・ベルト 2
・パジャマ 7
・ジャケット 5
・下着 41
・さむえ 2
・ゆかた 2
・着物 2
・手袋 1
・マフラー 2
・つなぎ 1
・スーツ 1
・レインコート 1
・帽子 1
・ワンピース 2

計125点

【絵日記 #180】家電カウントアップ



ものを減らしていくと、延長コードの余りが目につくようになった。そして、子猫が感電しにくいようにと2部屋のコンセント計8口を養生したがコンセントなくて困るなんてことは今のところない。家電が減ったからか。


一体家にはどれくらい電気で動くものがあるのか気になったので数えてみることにした。常に使っているものも、長年使ってないものも、借り物も、今あるものをとにかく数える。


どこまで数えるのか迷ったけど、ケーブル類やSDカードなどは数えないことにした。直接プラグを挿して使うもの、充電するもの、一応電池で動くものも数えてみた。



【玄関】
・扇風機 1
・電動ドリル(充電) 2
・照明 1


【トイレ】
・照明 1 
・バスポンプ 1
・トイレ 1


【キッチン・図書室】
・スピーカー 1
・冷蔵庫 1
・iPhone (充電)1
・ルーター(?) 1
・ワイアレス飛ばす機械 1
・コーヒーミル 1
・照明 5
・換気扇 1
・精米機 1
・はんだごて 1
・インパクトドライバー(充電) 1
・アイロン 1
・ペンライト(電池)1
・パソコン(充電) 2
・e-mobile端末(充電) 1
・PHS(充電) 1
・エアコン 1
・電卓(太陽電池) 1
・照明ストック 6
・パン焼き機 1
・量り(電池)1


【風呂・洗面所】
・照明 2
・換気扇 1
・バスポンプ 1
・洗濯機 1
・ガス給湯器 1


【工房】
・照明 2
・ミシン 2
・ディスクグラインダー 1
・電気カンナ 1
・電気のこぎり 1
・トレスボックス 1


【外】
・照明 3


【和室】
・照明 2
・エアコン 1


【洋室】
・スウィッチングハブ 1
・MP3レコーダー 2(それぞれ充電・電池)
・電卓(太陽電池)1
・懐中時計(電池)1
・モデム(?)1
・ルーター(?)1
・パソコン (充電)
・ハードディスク 1
・電子辞書 (電池)1
・照明 2
・灯油ファンヒーター 1
・プリンタ 2
・カメラ (充電)
・ビデオカメラ (充電)
・バッテリー (充電)


【廊下・階段】
・照明 3 


■合計 109点


なかなか分類して数えるのって難しい。蛍光灯のストックを数えるのか迷ったけど一応いれることに。数え漏れているのがあるかもしれないけど堂々の100点超え。いろいろ減らしたつもりやったし、こんなにあると思わなかった。

長年、使ってないものは少ない。ハンダゴテ、MP3レコーダー(電池の方)、トレスボックス、電子辞書、懐中時計とかかな。電子辞書を手放そうと思う。紙の立派な辞書もあることやし。レコーダーと懐中時計はどうしようか迷い中。

【絵日記 #179】住宅は展示スペース


整理整頓とか、上手な収納みたいなことがめっぽう苦手。でも、散らかってるのは嫌いだった。そんなときどうしていたかというと、押入れにとりあえず入れていた。しかし、整理整頓できないから、押入れの中は散らかっていた。散らかりを隠していただけ。

今、この家には押入れと呼べるようなものはほとんどない。押入れの扉は外してしまった。戸棚の扉もほとんど外された。押入れに入れたって散らかっているのが丸見えだ。隠すスペースはないので、どうしようもなくてそのまま部屋が散らかってたりする。

でも、部屋が散らかってても別にそれでいい。そうなっているとなんとかしようとという気になり、整理整頓できないなりにどうしたら心地いいのか考えるようになってきた。

なかなかいい手が浮かばないこともあり結構長いこと散らかり続けたりする。でも、散らかりが見えてるのでやっぱりなんとかしようとは思い続ける。そしたらそのうちちょっとづつ使いやすい配置や見栄えのいい置き方を考えていく。

押入れに入れていた頃は、臭い物には蓋をという気分だったんだろう。飾るのも下手、収納するのも下手。そのとき、まさに使っているもの以外はやっかいもの。

押入れのない家では全て見えているから、全てのものが展示中だ。今あるものをどうやって置くかだけでなく、そもそもどんなものを持ちたいのかを考え始める。持っているものの一つひとつが、使っているとき以外は収納されてしまうものではなく、使っていないときもこの家に展示されるものとなった。

【絵日記 #178】衝動的なリフォーム大作戦



我が家のリフォームは着々と進んでいる。

一応、テーマカラー「白と茶」や「工房をつくりたい」「隠すスペース(収納)を減らす」などの大雑把な計画やイメージはあるが、細部に関してはかなり衝動的に行われている。

朝起きて、シンク下にはめてある化粧板を外したくなったから外した。ある日、カーテンをレールごと全てなくした。障子ももう貼ることはないから木枠を全部取っ払ったりした。畳の置き場所を変えたり、扉を外すことにしたりもした。

暖かくなるとともに、リフォームは大幅に進んでいる。どんどんものが減り、気持ちいい風が入ってくる家になった。ごろごろできる場所も増えた。

ときどき、ちょっとやり過ぎていないだろうかと心配になる。暖かくなって衝動的に涼しい家になるように行動してるから、冬めっちゃ寒いんじゃないかとか。後になって、「あれはやり過ぎたね」と笑っているようなこと他にも出てきそうだ。まあ、その程度のことやから別にいいし、冬は灯油代を稼ごう。それに、全体の計画から外れたようなことはしてないと思う。

計画的にも衝動的には内装がめまぐるしく変わっている。とても楽しい変化の連続で中毒になりそうだ。リフォームの楽しい日々はまだもう少し続く。

【考え事 #008】「である」ことは点でしかなく、「でない」ことは広大だ。

僕の使っている携帯電話機(PHS端末)、ウェブは見れないし、メールもできない。写真も撮れないし、財布にもならない。通話以外はせいぜいショートメッセージが送れてアラームがなるぐらい。あと電卓。いずれも操作しにくくて、積極的に使いたくはならない。

こういう携帯電話機のことを一般的なカテゴリーとしてなんと呼べばいいのだろうか。当然スマートフォンではないのだけれど、スマートフォンでないということはすなわち「ガラケー(ガラパゴス携帯)」ということに、世間的にはなってしまう。が、この電話機の機能は貧弱で、とてもガラパゴス化しているとは言えそうにない。


「スマホでないならガラケー」という区分けがおかしいのだけれど、それ以前に「何かである」ということの認識が違うのかもしれない。


確かに多くの人がスマートフォンを使っているけれど、所詮「スマートフォンである」というのは、「そうでない」に対して、単なる一つの状態にしかすぎない。ユーザー数が多いからある程度の面的な領域を確保しているように思えるけれど、上空高く登ってみれば「スマートフォン」というある一点でしかない。その点以外の「スマートフォンではない」領域が広大に広がっている。その広大な領域を「ガラケー」で代表するのは、ガラケーの定義からしても、代表することの意味からしても間違っている。


と、なんだかめんどくさいことを言っているのは、「それってガラケー?」ときかれることがちょくちょくあって、その返答に困るからで、別にスマートフォンを憎んでいるわけではない。


次から「いいえ、グローバルスタンダード携帯です」と答えようかな。


でも、本物のグローバルスタンダード携帯電話はこれ。マジョリティの規模が違う。これ、日本で普通に使えるのなら、今すぐにでも乗り換えたい。

【絵日記 #177】ミカンの皮と中身


夏みかんをたっぷり貰った。みかんといえば多分普通は実を食べるもの。でも、こういう皮のしっかりしたみかんを貰うとすぐにマーマレードを作ろうとか、皮の食べ方を考えてしまう。

どうやら皮が好きらしい。たっぷりの砂糖を絡ませて食べるのが好きだ。そのままだと食べられないけど砂糖を絡ませると、砂糖も皮もおいしくなる。

実ももちろん好きだ。でも、実を食べて皮ができるとより嬉しくなってしまう。そして、大事な皮が実を守るために外に付いているのかと思うと不思議な気分になる。

そういえば、最近庭で実っているスナップえんどうも実が大きくなる前に「サヤがうまい」と言って収穫して食べてしまう。皮、なかなかいける。

【絵日記 #176】壁紙をはがしたら壁が紙


家のリフォームを着々と進めていますが、その主な作業が壁や天井にペンキを塗ること、そしてその下準備として壁紙をはがすことです。


壁紙は気持よくベリベリベリとはがれますが、壁に壁紙の粘着部分の薄紙が残ってしまいます。これはそのままだと取れにくいので水を吹きかけてふやかして取っていきます。なかなかめんどくさい。


今までは薄紙を取るとベニヤ板が壁として出てきたんですが、今日はなんと厚紙がでてきたのでがっかりしてしまいました。調べてみるとこの厚紙は壁材として使われている石膏ボードの表面に付いているもののようです。


なんでがっかりしたのかというと、紙に水性のペンキを塗ると紙がふやけたり、はがれてきて仕上がりがきれいにいかない可能性があるから。なので、紙をはがして壁が紙だったので徒労感が漂います。


まあでも、壁の紙は一応スプレーの水には耐えていたのでペンキも大丈夫だろう。そう思いながら薄紙はがしを完了させたので、後は塗ってみるだけです。


この家は、築50年弱だそうなのですが、一度増築しています。私が住んでるのはこの3年ほどなので詳しいことはわかりませんが、今まで壁紙をはがしてきたところは最初から建てられていた部分で、新しくはがしたところは増築部分かなと思います。新築から増築までの間になにか建材事情でも変わったのかもしれません。

今日で大部分の壁紙をはがし終えました。壁紙をはがしていると、ベニヤでできた壁の薄さとか、ちょっと押すと穴が開く石膏ボードのもろさとかがわかってきました。前はもっと家の壁って頑丈でしっかりしたものだと思ってたので、最初は壁が薄いベニヤでできていてしかもヒビも所々入ってる、というようなことが分かるとがっかりしたんですが、そういうこともなくなりリフォームでいろいろ家を触っていくことで家のことが見ていくのが面白いです。

【絵日記 #175】我が家にマイアミ


トイレの塗装をしました。壁紙剥がして壁、天井、窓枠をペンキで真っ白に、そして床は真っ青に。

塗り終わって最初の感想が「なんだかマイアミみたいになった」でした。マイアミに、行ったことはないんですが。

ペンキで壁を塗るとそれだけで異国情緒漂うような、ギャラリー風になるような感じがあるんですが、青の床にすると常夏な海辺の雰囲気がでます。「ティン・パン・アレー」の陽気な曲を聞きながら入りたいトイレです。

こんな感じのトイレは初めてで、なんだか塗ってからトイレが気になってしまいます。落ち着かないです。落ち着かないのはトイレにいないときで、なんだかトイレ行くのが楽しくていいです。

トイレットペーパーとタオルのホルダーを革で作ったんですが、木材で荒々しい感じに作っても合いそうです。


【絵日記 #174】観葉植物は床板張りで引きちぎれちゃいました


昨日の絵日記で登場した植物ですが、今日茎を引きちぎってしまいました。

その部屋には、今朝新しく床板を入れて、その作業中に板をひっかけてしまったんです。
根っこは残ってるはずなので、もしかしたらまた生えてくるかもしれません。

ところで、この部屋は土足で使う工房にしようとリフォームを進めています。すでに、天井や壁をペンキで塗ってあり、床が入ったのでミシンや机を運び込みました。これから、道具の置き方など考えていこうと思ってます。

床板には足場板を使いました。工事現場で作業する際に使われるもので、丈夫な板だそうです。ホームセンター等で売っている足場板は乾燥させてない木なので、すぐには床板などの用途にはつかえないのですが、きちんと乾燥させてひび割れや反りがあるものを選別したものをWOODPROというお店で売っているのでそこで買いました。表面が粗いので裸足て過ごす部屋には適さないようですが、土足の工房にはしっくり来てます。足場板がこれからどんな感じになっていくのか楽しみです。

【絵日記 #173】床下から生える観葉植物


1階の日当たりがよい部屋の壁と床のすきまから植物が生えてきました。

床の上から見えているのはぴょろっと伸びるその葉っぱだけなので、なんだか楽しいなーと、でも幹が太くなってきたら家が壊れるのではないか、それは困るな、どうしようかなんて思って過ごしていました。

ちょっと考えてみると、もしかしたら床の上にはでて来てないだけで、床下はもう観葉植物でぼーぼーかもしれない、なんてふと思いました。

ぼーぼーぼーぼーぼーぼー



いったい本当のところがどうなっているのか、わかりません。
そして、この1本の植物を抜くのかどうか迷ってます。

【考え事 #007】夜は喫茶店、昼はバー。

このところちっとも「ていれとつくろい」と関係ないブログになっていますが、更新しないよりいいだろうと思って、書きたいことを書いています。

で、今日も関係ない話。

僕は、夜の方がコーヒーを飲むのが楽しいし、昼の方が酒を飲むのが楽しい。だから、夜は喫茶店、昼はバー、そんな店があったらいいのにと思う。でも、きっと客は少ない。

だから自宅をお店っぽくして、勝手にやろうかなと思う。

もうすぐ梅雨で蒸し暑くなってくるから、ジントニックがうまいはず。
コーヒーはマンデリンを注文したから、深煎りにして甘いドーナツといっしょに。

【考え事 #006】家電の森を探検する

家電製品についてはいろいろと考えさせられる。

テレビはもうだいぶ前から観ていない。が、DVDを見るときのために最近まで持っていた。それを最近、処分した。炊飯器、掃除機、この辺りは比較的容易に土鍋、箒に置き換えられた。ご飯は美味しくなったし、掃除も楽しくなった。

逆に増えた家電もある。

ホームベーカリー、パンが美味しいのはうれしい。
精米機は以前から使っていたのが壊れた。家電が壊れた時は買い替えをかなり慎重に検討して、本当に必要かを考えるのだけれど、精米機はほぼ躊躇なく新品を購入した。

そして、今、買い換えるのが冷蔵庫。265リットルのものから106リットルのものに小型化する。本当はなくてもいいのかもしれない。でも、現状では、冷蔵庫をなくすために変化させなければならない生活スタイルが具体的に詰め切れなかった。何しろ、我が家では24時間通電しているほぼ唯一の家電。芦田先生曰く「サーバーの起源」。でもいずれはなくしてみたい。

家電を一つ一つ減らしていこうとするとそれにともなって生活を変化させていかなければならない。その変化を想像して計画して実行する。こういうのがとても楽しい。冷蔵庫はかなり手強い。たぶん家電の森の最奥地でぼくらを待っているボス敵。もうしばらく楽しめそうだ。

家電の森の登場順というかやっつける順番で行けば、「テレビ、掃除機、炊飯器、電子レンジ、エアコン、冷蔵庫」かなと思う。現在、電子レンジまでクリア。攻略法として最初にテレビを倒すと「買う」本能を刺激し続けるインフラを遮断できて、ゲームの難易度が下がる。

【考え事 #005】 救うことはかわりに殺すことを含んでいる

前回に引き続き猫の話。

仔猫を拾った。


保護すると決めて持っていた帽子に入れた時から、ネズミやカラスやシラミとの比較を離れて、仔猫は固有な存在になる。命の主体として比較対象となっていたネズミやカラスやシラミは、もういない。


臍の緒がついた目も耳も開かない、生後0から2日。手のひらにすっぽり乗っかる100グラム程度のそれは、他者との比較の上では「猫である」が、まだそれ単体では猫というものになりきっていないように思えてくる。


「命」という一般化された何かではなくて「仔猫の命」という猫から引き剥がせない性質だった「命」がぐんぐん大きくなって、今度は「命という状態にある何か」になって主従が逆転し、猫という区別が曖昧になってくる。


授乳も排尿も排便も自力ではできない。ほんの些細な異常が次の授乳の時間には弱り、弱ればミルクを飲むこともできなくなって、さらに弱り翌日には死に至る。飲みたがらないミルクを無理やり飲ませると誤嚥する。飲む量が少なければ栄養失調で弱る。何をすれば良いのか、何をしてはいけないのかわからない。


「救う」には「かわりに殺す」ことも含む。
仔猫が何を望んでいるのかはわからない。わからないまま、次々と何かをし続ける。

仔猫の保護は、僕が「やる」ことであって、仔猫はただ「ある」だけ。僕がやることのために仔猫はある。僕には躊躇している余裕すらない。

【考え事 #004】 「命」が同じと思える人がいたのか

仔猫を拾った。

4月の、今夜から寒波がおとずれますという夕方にカラスが何かをつついていた。みーみーと音がしていて最初はネズミかと思った。ネズミだったらそのまま通り過ぎただろう。しかしそれは仔猫だった。野良猫が家の軒下ででも仔猫を産んでしまったから、それを捨てた人がいたのだろう。そのまま立ち去れば数時間で命が失われ、カラスは食べ物を得られた。カラスを追い払い、親猫を探したがそれらしいのは見つからなかった。

こういう仔猫を見つけたいと思う人はいない。猫が好きであればあるほど、こういう状況には遭遇したくない。しかし、出合ってしまった。その時から選択の余地はない。


猫ではなく、カラスが好きなら、何もしないだろう。
猫ではなく、ネズミが好きなら、ネズミでなくてよかったと思うだろう。
猫ではなく、シラミが好きなら、どうしただろうか。

僕はカラスを追い払った。
ネズミだったらよかったのにと思った。
仔猫を保護した。
シラミを見つけ次第、潰した。

仔猫を捨てた人と僕は同じだ。
嫌いだから困るから捨てるのと、好きだから放っておけないから拾うのは同じだ。

何かの命は「命」という一般的な一つの概念として、大切にしたり粗末にしたりできない。「猫の命」「ネズミの命」「シラミの命」として、より正しくは「『この猫の』命」として、その主体から引き剥がせない性質として扱われる。

以前、鶏を自分でシメて食べるキャンプに同行したことがある。昼間、ととととっと走り回っていた鶏を夕方、逆さに吊るしてナイフで首を掻き切った。泣いたり、落ち込んだりした参加者は一様に「命の大切さを学んだ」と言っていた。言いながら、パチンパチンと目の前を飛ぶ蚊を潰していた。


例えば釈迦やキリストに「命」がどう見えていたか。そういうことを考える。

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