前回に引き続き猫の話。
仔猫を拾った。
保護すると決めて持っていた帽子に入れた時から、ネズミやカラスやシラミとの比較を離れて、仔猫は固有な存在になる。命の主体として比較対象となっていたネズミやカラスやシラミは、もういない。
臍の緒がついた目も耳も開かない、生後0から2日。手のひらにすっぽり乗っかる100グラム程度のそれは、他者との比較の上では「猫である」が、まだそれ単体では猫というものになりきっていないように思えてくる。
「命」という一般化された何かではなくて「仔猫の命」という猫から引き剥がせない性質だった「命」がぐんぐん大きくなって、今度は「命という状態にある何か」になって主従が逆転し、猫という区別が曖昧になってくる。
授乳も排尿も排便も自力ではできない。ほんの些細な異常が次の授乳の時間には弱り、弱ればミルクを飲むこともできなくなって、さらに弱り翌日には死に至る。飲みたがらないミルクを無理やり飲ませると誤嚥する。飲む量が少なければ栄養失調で弱る。何をすれば良いのか、何をしてはいけないのかわからない。
「救う」には「かわりに殺す」ことも含む。
仔猫が何を望んでいるのかはわからない。わからないまま、次々と何かをし続ける。
仔猫の保護は、僕が「やる」ことであって、仔猫はただ「ある」だけ。僕がやることのために仔猫はある。僕には躊躇している余裕すらない。