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ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

【考え事 #008】「である」ことは点でしかなく、「でない」ことは広大だ。

僕の使っている携帯電話機(PHS端末)、ウェブは見れないし、メールもできない。写真も撮れないし、財布にもならない。通話以外はせいぜいショートメッセージが送れてアラームがなるぐらい。あと電卓。いずれも操作しにくくて、積極的に使いたくはならない。

こういう携帯電話機のことを一般的なカテゴリーとしてなんと呼べばいいのだろうか。当然スマートフォンではないのだけれど、スマートフォンでないということはすなわち「ガラケー(ガラパゴス携帯)」ということに、世間的にはなってしまう。が、この電話機の機能は貧弱で、とてもガラパゴス化しているとは言えそうにない。


「スマホでないならガラケー」という区分けがおかしいのだけれど、それ以前に「何かである」ということの認識が違うのかもしれない。


確かに多くの人がスマートフォンを使っているけれど、所詮「スマートフォンである」というのは、「そうでない」に対して、単なる一つの状態にしかすぎない。ユーザー数が多いからある程度の面的な領域を確保しているように思えるけれど、上空高く登ってみれば「スマートフォン」というある一点でしかない。その点以外の「スマートフォンではない」領域が広大に広がっている。その広大な領域を「ガラケー」で代表するのは、ガラケーの定義からしても、代表することの意味からしても間違っている。


と、なんだかめんどくさいことを言っているのは、「それってガラケー?」ときかれることがちょくちょくあって、その返答に困るからで、別にスマートフォンを憎んでいるわけではない。


次から「いいえ、グローバルスタンダード携帯です」と答えようかな。


でも、本物のグローバルスタンダード携帯電話はこれ。マジョリティの規模が違う。これ、日本で普通に使えるのなら、今すぐにでも乗り換えたい。
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