金つぎ屋のサイトを見ていると、ティーカップの金つぎの見本写真が載っていた。西洋のものを金つぎで直すとはと少し驚いたが、やっぱりきれいだ。でも、欧米の人が見るとこういうものってどう見えるのだろうか。壊れたものをわざわざ壊れたことがわかるように直し、これがいいんですと言い切ってしまう。これはかなり特殊なことなんじゃないかと思う。
カナダに住んでいたときに、カナダ人はすり切れたTシャツや服を平気で来て街中を歩いているのを発見して嬉しく思った。日本人なら「汚いから捨てなさい」と言われてしまいそうなものを堂々と着る。そんなにぼろぼろになっても着るのに、繕ったものは見たことがなかった。もしかしたら衣服を直そうとはあまりしないのかもしれない。
汚れやほつれを異常に嫌がり、それを見せたくないから服を着なくなったり、繕ったりする日本人のやり方がいいなと思えるようになってきた。汚らしいからと着なくなって捨ててしまうのは嫌だけど、気に入ったものを長く使うための繕いはかっこいい。
今までちょっと嫌だと思っていた、過剰なほどにきれいに見せないと思ってしまう思考の中に実は私がいいと思えることが潜んでるんじゃないかと思えてきた。もしかしたらものを大事にすることや、長く使おうとすることと繋がっているのかもしれない。陶器の金つぎのように、服も繕いたいと考えて、いろいろな繕いの方法を試している。金つぎの陶器のように、繕われた服がかっこよく見えたら楽しいなと思う。