お知らせ

ていれとつくろい、終了しました。
ブログは記録として残しています。

#59 心強い箸

竹の箸の力強さが好きだ。うちでは手作りの竹の箸を使っている。熱にも強く食器洗い機で洗ってもへこたれもせずどんどん強くなっていくようだ。これだと箸を買い換えるなんてことはほとんど考えない。

箸もみすぼらしくなってしまうため思わず使い惜しみしてしまいたくなる道具の一つだった。暫く使い塗装が剥がれてくると、「そろそろ買い換えないと」と誰かが言い出すなと分かってくる。自分でもそう思っていた。そうなると箸を使うのが嫌になっていた。使い捨てでない箸を使っているつもりだったのに、使い捨てているような気になる。

この竹の箸は丈夫で長持ちしそうだ。表面に何も塗られていないが、毎日使うことによってより塗装されたかのような艶が出て、どんどん使っていきたいものへと変化していく。反ったりもせず真っ直ぐなまま。竹という素材が用途にあっているんだろうと思う。長く使っていける安心感がある。塗りの箸も調べてみたところ、20−30年は塗が剥げずに持つものもあるし、修理ができるものもある。

箸にはとても頼っているし、使い惜しみなんていう余計なことを考えなくていいだけでありがたい。

#58 持ってるものを買い換える

よく使う道具とそうでもない物がある。毎日のように料理をするから包丁を使う。本も毎日読むから椅子によく腰掛ける。

そして毎日使う道具は高価で高機能なものを買わねばと思った。毎日使うものはもう持っている場合が多いから見直しが意外に難しい。しかし、普段使いのものこそいいものを持てば作業が楽になったり、上手くなったりする。

私もずっと土鍋が買えなくて困っていた。持っているのに更に新しいものを買うのかと思うと踏み切れない。毎日使うもののうちほとんどがもう持っているというだけで見直しができていない。

毎日使うものってなんだろうか?調理器具、服、箪笥、布団などが思いつく。例えば、調理器具であれば今はないけどたまに使いたいと思うものを買い足すよりも、今使っているものを更に良いものに買い換えることができる。その方が料理が楽だし、美味しくもなるだろう。買換えも本当はしたくないので、これからはそれよりいいものがあるとは思えないようなものを選んで買っていこう。

#57 信頼しているものは忘れがち

新しくできるようになったことや道具の変化は気づきやすい。できるようになることや変化するのは好きなのでこの絵日記にもたくさん書いてきた。そういったものも暫くすると新しいものではなくなりできて当然のこと、それがないと不便だったり生活が成り立たないようにさえ思えてしまう事柄へと変化していく。出来る喜びから、生活を支える信頼となり、ある日そのことを考えなくなって信頼していることを忘れてしまう。

たまにそれがあって本当によかったということを思い出さされてギクッとする。「これが好き」と言われたり、写真で「これがいいでしょ」と伝えられたりするときにそう思う。ありふれたものであればある程ぞっとする。確かにそれがないと困るなとか、でもさほど感謝することなく使ってたなと思う。

一見変化もなく毎日使うものをちゃんと見ていたいなと思う。今ここで安心して文章を書いていられるのも、そういったいろんな見てないものに支えられている。自分の信頼するものにはなかなか気付けない。

#56 釜でご飯を炊く

伊賀土楽鍋・織部釜」が届き、粥を炊いて2日ほど経ったので、やっとご飯を炊いた。お粥を炊いて置いておくのは生地の目や貫入からの水漏れを抑えるためだそうだ。

お粥を捨てて、釜を洗い中を拭いて乾す。その間に、精米し、釜の底が濡れてはいけないので米はボールで洗う。それを釜に移し米の約1.1倍の水を入れる。今回は6合炊くので1,200cc入れた。
急加熱に弱い釜なので、最初の5分は弱火で温め、その後沸騰するまで強火にする。この沸騰までの時間が前の鍋よりも長かった。かなり釜が蓄熱するようだ。沸騰したら弱火にして13分。最後に5秒強火にし、火を止めて5分蒸らす。

おひつに移し、お茶碗に盛って「いただきます」。初めてのお釜ご飯は美味しかった。水分少なめというわけでもないのに、お米のひと粒ひと粒が舌でわかる。今までのと別物。お釜を買った甲斐があった。

#55 野菜のでき

野菜の宅配をしている藤井農園は野菜と一緒に農園の様子、レシピや野菜の保存方法を書いたものを送ってくれる。月に2度ほど頼んでいる野菜セットと一緒に届くこのチラシも毎回楽しみにしている。野菜の保存方法なんてそれまであんまり考えたこともなく、とりあえず冷蔵庫にほり込んでいたけれど「濡れた新聞紙に包んで」とか「風通しの良い日陰で」とか書いてあっておもしろい。天候によって変化する畑の様子を教えてくれるのも好きだ。2月13日発送の野菜セットには、この時期に収穫予定だった小松菜が大きくならないと書いてあった。多分そのせいだと思うが、次の週から小麦粉を入れることにするそうだ。

それを読んで最初は、収穫できなくて送れないものがあっても貯蔵できるもので代替えできるからすごいなと思ったけど、よくよく考えてみるとこの時期に収穫できるはずだと分かっている方がすごい。そんなのは農家にとっては当たり前かもしれないけど、気づいてなかった。家の菜園では植えてもいつできるかほとんどわからないし、どれだけ出来るかもわからずに栽培している。

藤井農園の今回の宅配は貯蔵のものを合わせて9種の野菜が送られてきた。これだけ違う種類の野菜の収穫時期を予測しながら育ててるのかと思うと圧巻。

#53 麺棒の成長

蕎麦やうどんを伸ばすのに使う長い麺棒がうちには2つある。少し長さが違うのだが、この1、2ヶ月は短い方ばかり使っていた。その前までは長さが違う以外には差を感じなかった2つの麺棒。使い込んでみるとこんな短期間だが育っていた。

成長を強く感じたのは、長い方を使う機会があったときだ。いつもの倍近い量の蕎麦を打ったので2本の麺棒を使い麺を伸ばしをしていた。久しぶりに長い方で伸ばしたときに「あれ、こんなに麺棒って伸ばしにくいものだったか」と驚きがあった。ざらざらとつっかえて前に進みにくく、いつもより力が要った。

短い麺棒で伸ばすと普段の軽さが戻ってきた。使い込んだ道具は使いやすい。ここまで道具を育てられたことも嬉しい。使いやすくなっているということは使い方は間違っていなかったし、その分使う腕も上がっているはずだと思う。

日常的に使い込んできたんだろうなと思う道具を目にすると、「いい道具」と思わず口にすることが増えた。「古いし色も変わっちゃった」という否定的な答えが返ってくることもあるけれど、そうやって長年に渡って大事に手入れし使い続けていることはかっこいい。それは成長の跡だし手入れの跡だ。

#52 素材の強さ

道具を手入れしたり繕ったりしながら使っていくにはある程度素材に強さがないといけない。素材に強度がなさすぎて手入れするまでもなく形が崩れ使えなくなっていくものもしばしばある。小学校のときに買ったTシャツが最初の失望だったと思う。着ていくうちにどんどん伸びていき着たくなくなってしまった。そこまであからさまに弱くなくても修理ができないようなものはたくさんある。
大阪吹田市のくるくるプラザでは要らなくなった家具を引きとり修理して販売している。その修理をしている人に話を聞いたところ、最近の家具は一見きれいに見えても修理できないとのことだ。古くて本当に直せるのかなと思うようなものの方が、修理ができることが多く販売にもまわせるとのことだった。新しいものは素材の質が悪いので切ったりヤスリをかけたりなどの修理に耐えられないのだ。一度壊れてしまったら捨てるという前提で作られているとそういうことになるんだろうと思った。
まだまだ私の周りには修理に耐えられないなと思うものがたくさんある。壊れてしまったときに「しまった直せない」と思うのではなく、そこまで考えて買うものを選んでいきたい。

#51 活字を再利用

大阪梅田のジュンク堂で活版ワークショップをやっていたとき、活字の再利用について教えてもらった。

「活字ストラップ」というガチャポンを見ていたら定員さんが使えなくなった活字にストラップをつけて売っているのだと言っていた。活版は好きなので活字のストラップなんてかっこいいなと思った。更に聞いていくと以前はこういった使えなくなった活字はもう一度溶かし鋳造しなおして再利用していたのだとわかった。そうするとストラップに興味がなくなってしまった。鋳造しなおして使ってるほうがかっこいいじゃないかと思ったからだった。

活字を鋳造し直せることは知らなかったので更に活版が魅力的になった。確かに、形のあるものを溶かしてしまうのはちょっと寂しい気はするけど、機能を失ってしまったものがもう一度、使えるものなると考えるほうが楽しくなる。

そんな風に手間はかかるけど同じ素材を使い何度も使い続けられる道具は優れているなと思う。捨てる所がほとんど無く手入れによって長期間にわたり使うことができるはずだ。

#50 繕いはかっこいい

靴下の繕いは中学生のときからやっているが褒められた試しがなかった。どちらかというと捨てて新しいのを買いなさいというアドバイスをされる。捨てたくないけどそんなことを言われるのも嫌なので靴を脱ぐようなところにはなるべく繕ったものを履いていかなくなっていた。

それから10年以上も経った今になって、じゃあかっこよく繕ってやろうという意欲が湧いてきた。新しいものを買うよりもかっこよいと思わせるくらいの繕いをする。今までは単に繕いが下手でかっこ悪かったんだと反省。そういえば裁縫なんて小学校で少し習ったくらいでちゃんとしたやり方なんか知らない。「繕い」なんて言いつつ破れたところになんとか布を押し当てていただけだったなと思った。


かっこよくしようと考えると奥が深く縫い方や糸の色や考えることはたくさんある。そういうことを考えた方がかっこいいだけでなく丈夫でもあるはず。長く使いたいという観点からも合理的だろうと思った。上手くできて、繕いがかっこいいなんて思ってもらえたら嬉しい。やる気が出てきた。

#48 埋め残り


#49 土鍋が割れた

夕飯のために土鍋でごはんを炊いていた。沸騰させたあと、弱火に切り替えた後しばらく放っておけばよかったので安心して他の調理をしていた。だが、暫くして土鍋を見ると土鍋にヒビが入り、そこから水が少しずつ漏れ出していた。ぶつけた訳でもないのに壊れてしまい、突然のことでショックだった。

これはホームセンターで5年ほど前に買った土鍋らしい。この何年かは、週に2、3度はごはんを炊くのに使っていたので重労働だったのかもしれない。


少しずつしか水は漏れなかったので問題なく炊き上がったが、このまま使い続けるわけにはいかず土鍋の購入を決めた。前からここから買おうと思っていた土楽窯で土鍋と探すと、炊飯専用の釜も販売していた。このところ鍋はほとんどご飯を炊くのにしか使ってない。鍋料理や焼肉もできる土鍋と迷いながらも、釜の購入を決心。釜でご飯を炊いたことなんてない。届くのが楽しみだ。

#47 カニの目


#48 活版体験

ジュンク堂梅田店を訪れると活版印刷のイベントが開かれていた。前から気になっていた活版印刷が見られるのかと思いそのまま会場へ。活版といえば「銀河鉄道の夜」。ジョパンニが活字を拾い版を作っていく序盤の印刷所のシーンが印象深い。そんな印刷を知らなかったので、何なんだこれはと思いながら読んだ(もしかしたらアニメを見たんだったかもしれない)。

その日はブックカバーに好きな文字を入れてもらえるというイベントをやっていた。「ていれとつくろい」と入れてもらうことに。関西活版倶楽部の人たちがいろいろと教えてくれながら、活字を拾うところからやらせてくれた。拾ったものを渡すとそれを版にし活版印刷機にセットしてくれた。まずは試し刷り。インクを付けてプレスすると文字が浮かび上がる。「る」だけ薄かったので、調整してくれた。「る」が他の文字と高さがあってなかったらしい。直してもらうともう一度試し刷り。今度はインクは乗ったが、「る」の文字だけ逆さま。一文字ずつ並べいるのでこんなことが起こる。それを直してもらい今度は上手くいった。そしてブックカバーに印刷。


こんな風に少しずつ調整しながらつくれるものが好きだ。融通が効いていろんなものを作れる感じがする。出来上がったブックカバーの文字の輪郭はくっきりとしていてとても綺麗だった。

#46 墓標自身


#47 良さを教えてもらう

漆器のよさは教えてもらった。特に身近でもなく、伝統的な日本の食器くらいのイメージしか持っていない漆器がいいものだなんて最近まで思いもしなかった。そんなイメージが最初に変わってきたのが漆器の椀を使うようになったとき。透き通った色が美しい。口あたりもよく、料理が美味しそうに見えた。それでもその椀が数万円もするとわかるとそんなもの自分では一生手が出ないと思ったのだがいろいろ聞いていくうちにその価値もあると思えるようになった。

お椀は10年ほどすると表面の漆が剥げてくるそうだが、職人に修理を依頼するとほとんど新品のようになって帰ってくるらしい。そんなふうに10年ごとに修理をしていくと何十年でも使えてしまう。一度の修理で数千円はかかるが、直して使えるというのは魅力的だった。


お店で商品を見るだけではその値段価値はわからない。何故いいのか教えてもらって初めて納得して買える、使える。伝統工芸品を見て、「なんでこんなものをまだ作ってるんだ」と思うようなことがあると、わざわざ今でも使っている理由がきっとあるに違いないと思うようになった。

#45 修理待ち


#46 そうじ

去年の夏によく行っていた東山いきいき市民活動センターの西本さんという人はセンターの掃除をよくしていた。他の職員の人も西本さんは掃除ばっかりしているといようなことを言っていた。私はどちらかというと掃除は苦手でなんとなく部屋は汚くなっていってしまう。

でも、そんなことを見ているうちにやっと掃除は重要な手入れではないかと思い始めた。歯の欠けた包丁が使えないのと同じように、物を置きまくってしまった部屋は使えない。市民活動センターのようなところではセンターの利用したいと思うかどうかは掃除の行き届き方で大きく変わるだろう。


家においても掃除をしないことや片付けないことで自分の行動を制限してるのだなと意識し始めた。とりあえず机の上にものを置きっぱなしをやめようは思ってみたものの全然できてない。なにかうまい方法はないかと考えみたがないだろう。物を減らせば少しはなんとかなるか。

#44 コンクリート継


#45 レシピ通りにやってみる

里芋の煮物はちっさいときから好きだった。ほくほくした里芋が餡のように粘りがある出汁で炊かれた食べ物だと思っていた。この間、初めてレシピを見て作ってみた。それには「ぬめりを取る」という工程があった。そのやり方で作ってみると出汁は若干もたっとしていたが、餡掛けとは程遠いすっきりした出汁になった。どっちが好きかなと考えてみたがぬめりを取ったほうが好きだ。

こういう味の物が出来て欲しいという具体的な像を描くのはなかなか難しい。お店で食べた物や誰かが作ってくれたものが美味しければそれを目指そうとしたりする。今回のようにレシピに従ってみたら美味しかったということもある。


じゃあ、思いっきりレシピに従ってやろうと思った。やる前はなんでそこまでするのかわからないめんどくさそうな工程や、自分で「工夫」した方がよさそうな工程もできるだけレシピに従ってやってみている。料理なんてずっとやってきたと思ってたからかレシピを見つつも工程を省いたり、知っている方法に変えたりしてしまっていた。

#43 日の丸構図の発見


#44 使い惜しみしなくていい

出汁をよく引くようになったのと、ざる蕎麦を頻繁に食べるようになったので竹ざるをよく使う。はじめは白っぽかったざるにツヤが出て茶色が深まりきれいだ。毎日眺めて変化を確認しようとするけど、普段はさほどの変化はない。それでも使う度にじろじろ眺める。

おひつでも鉄瓶でも火鉢でもそうだがいろんな道具をじろじろ眺めるようになった。じろじろ見ると変化が見えてくる。それを見つけて今日の使い方はよかったのかなとか保管の仕方はそれでよかったのかとかあれこれ考える。単に使ったことを確認して嬉しく思うこともある。

道具の変化が嬉しいと思うときその道具は使い惜しみしなくていい道具だとわかる。道具が変化すると即座に「捨てること」や「買換え」に繋がるような気がしていてそれが嫌だった。そうなってくると捨てるの嫌さに道具の使い惜しみをしていた。最近になってようやくそうではない道具の姿が見えてきた。まだまだそうではない道具もたくさん持っているし、性質上使い捨てに近いものもあるができるだけ使うほどに使いやすくなる「育つ道具」を使っていきたい。

#42 道下収納


#43 出汁を引く

味噌汁が美味しい。味噌汁がこんなに美味しいとは知らなかった。そんなに好きでもなかったのでほとんど自分では作らなかった。でもこの間出汁が余っていたので作ってみたところ美味しかった。

美味しくなった理由は出汁をちゃんと引くようになったことだと思う。昆布と鰹をたっぷりと使い、漉すのにはザルの上にさらしを載せたものを使う。近所のスーパーで買った昆布と鰹なのに味噌汁の味は全然違ったものになった。

出汁をちゃんと引くようになったのは蕎麦つゆを美味しくしたかったからだった。ざる蕎麦用の出汁の引き方を調べていくうちに、一番だし、二番だしの引き方もなんとなく目に入ってた。気になったので色々やっていくうちに、上手くなっていたようだ。

今までとひき方を変えた部分は、十分な量の昆布やかつお節を使うことと火を止めたらすぐにさらしで漉してしまうことくらいだと思う。そのくらいのことで別物になった。

#41 油絵のための写真


#40 節穴


#42 石油ストーブ

火鉢と共にうちで活躍している暖房器具が石油ストーブだ。石油ストーブもずっとあまり親しみがなかったけど、なかなか好きになってしまった。ガスのファンヒーターましてや電気の暖房器具よりずっと暖かい。焚き火にあたるような暖かさ。空気の乾燥もあまりしないから楽だ。時々ストーブの上にパンをのせて焼いたりもする。

そういえば冬になると灯油を売るトラックが毎晩のように近所を巡回していた。20年以上もそのことを知っていながら初めての石油ストーブ生活だ。自分が使ってないというだけであまりないものだと思い込んでたけれど、こんなに頻繁に灯油を売りに来てるんだからたくさんの人が石油ストーブを使ってるんだろう。

今はガスならわざわざ買いにいかなくても手に入る。石油ストーブは灯油を買いに行ったり、その灯油をポリタンクからストーブに移し変えたりと手間はかかる。それでも石油ストーブを使う価値はあるなと思う。

#39 屋外花瓶


#41 蕎麦のかっこよさ


蕎麦を打てるのはかっこいいというイメージがずっとあった。なぜだろう?うどんを打つよりかっこいい。そもそもうどんと蕎麦を同じようなものとして考えるのが間違ってるのかもしれないと思いつつも釈然としないところがあった。

最近蕎麦をよく打つようになって蕎麦の方が繊細であるということがわかってきた。ちょっとした手順の間違で麺は繋がらない。蕎麦粉によって繋がりやすさも違うし、水の量もかなり変わる。この水の量を間違えると繋がらない。生地を伸ばすのも手早くしなければ乾いてしまう。そういうことにひとつひとつに細かに配慮しないといけない。うどんであればさほど気を使わなくても繋がった麺ができあがる。水を入れすぎても、粉を足して割と簡単になんとかなる。もちろんうどんだって上手く打とうと思えばいろんなことに気をつけるし味は明らかに変わってくる。

しかし、お蕎麦は繋がって出来上がっているというだけでそういった細かいことにも気を使い調度いいやり方を知ってるんだなと見て取れる。その熟練度合をかっこいいと思ってたのかもしれない。

#38 安住の未定地


#40 「ホッター」なるもの


2月3日の日記でこたつに炭を入れて暖を取っていると話したがその方法を少し改良した。手焙りに炭を入れたものをこたつに入れていたが、押入れからホッターなるものを出してきてそれを使うようにした。

ホッターは炭を入れる場所のついた箱のようなもので、椅子に座っているときに足を乗っけたりして使うものだと思う。それがずっと仕舞われていたのは、ホッターを使うと椅子の高さが合わなくなったり、ホッターの足を乗せる場所が窮屈だったりであまり好きでなかったからだ。

でもホッターは蓋が付いているので手焙りよりこたつに入れるのには安心だろうと思い入れてみた。入れてみると手焙りより場所もとらないし、蓋が付いているからか炭の燃え方も抑えられて調度いい。足を乗せるはずの場所に手を乗せて温めたりもできた。

ところで、ホッターというものはこれを見るまで知らなかった。どっかで売ってるんだろうか、他にどんなデザインのものがあるのかと思い調べたけど同じようなものは見つからなかった。「ホッター」と本体に書いてあるから「ホッター」。もう、簡単に手に入りそうもない。赤い派手な色や模様も見た目にも素敵な道具だ。

#37 ざらざら


#39 模様替え


少しだけ家具の配置を変えた。模様替えとか整理整頓とか苦手だと思っているけど時々やる。どこに配置したら綺麗に見えるかやどこに配置したら使いやすいかがあまりわからないので使ってないものはできるだけ押入れへというのが大まかな方針だ。使わないものを仕舞ってしまって、そこがあくから物を動かすといった感じで片付けは進む。

しかし今日は思い切って棚を少しだけ動かしてみた。仕舞い込んでしまうのではなく少しだけ動かすというのはなかなか勇気がいるもんだと思った。動かしたほうが良いのかがよくわからない。

90度ほど回転させて別の壁にビタッとつけてみた。「なかなかいいではないか」と見た瞬間に思えたのは爽快だった。今まではその棚の正面や上に乗っている物は部屋のほとんどの場所から見えにくかった。位置を変えてみると堂々と棚の正面が見え棚の形も好きだということに気づいた。上に乗せてある鉄瓶も存在感が出た。自分の好きなものが見えやすい位置に置かれるだけでこんなに部屋が変わってしまい楽しいのかと思った。仕舞い込んでしまう以外の方針がやっと見つかった。

#36 「出土品」


#38 麺棒のつや


ここ2、3ヶ月蕎麦打ちを週に2、3回打っている。最近麺棒につやが出てきた。少し頼りなかった白木の肌の色味が変わり光沢が出てきたのを見ると道具を使ったという満足感がある。それにもっと使いたいとも思う。つやのある麺棒は使う前よりも表面がなめらかになってよりスムーズに転がる。最初は麺棒の表面はざらついているので、そこに打粉が引っかかる感じがあったがそういうこともなくなってきた。蕎麦打ちの腕に磨きがかかると同時に道具もにも磨きがかかった。

白木のつやは表面を擦ったり、洗ったり、拭いたりという作業の反復よって作られるようだ。つやが出るまでには道具はそういった反復作業に耐えられないといけないし、使う人がそうやって何度も使いたいと思えるような機能の良さも兼ね備えていないといけない。つやが出ている道具を見るといい道具なんだろうなとは思っていたが、それが道具の耐久性と機能性を象徴しているのだなと思った。

#35 その穴の意味


#37 燻製


ベーコン作りは月に1度くらいやっている。肉を買ってきて、塩と胡椒で味付けし、ピチットシートという脱水シートを使い一晩かけて水分を抜く。そして燻製にする。燻製は、アウベルクラフトというメーカーで作っているダンボールの燻製器を使い、その中でスモークウッドを1、2時間ほど燻す。ダンボールといっても何年も使っているけど壊れない。ダンボールに肉の脂や煙が付きツヤが出てきて、さらに丈夫になってきてる気すらする。

ベーコン作りは2年くらい前に知ったのだが、燻製といえば豚バラと思い込んできたのか、ほとんど豚バラのブロックしか燻製にしたことがなかった。今回は、豚バラと鶏の胸肉ともも肉も燻製に。少し前から、豚のもも肉や鶏も燻製にし始めた。豚のもも肉と鶏のもも肉はハムのようになる。美味しいけど、豚バラや鶏の胸肉が好みなので今後はその2種類を燻製にしようと思っている。

#34 緑のゴム


#36 鰹節を削る


お昼ごはんは蕎麦だったので、つゆを作るのに出汁を引こうとした。いつもはスーパーで買った鰹節を使っていたが、その日は蕎麦は打ってもらっていて少し余裕があったので、鰹節を削ることを思いついた。削り器と鰹節を出してきてみてやってみた。以前一度か二度はやったことはあるが、なかなか削れない。

パソコンで削り方を少し調べてやってみるものの、あまり上手く行かなかった。その後、何度かやって少しずつ上手く削れるようになってきた。あまり力を入れすぎない用に気をつけたり、鰹節が削れるときのシュッといういい音がするときの感覚をつかもうとしている。

削りたての鰹節は香りが強く、出汁を引くにも削って販売されているものの半分くらいの量でいいらしい。つゆの香りをかいで、確かにそうだなと実感した。

今は、まだ削るコツがわかってないようで上手くいかないので少し面倒くさい。もうちょっと上手くなって楽に削りたいと思う。

#33 黄色い花


#35 どこまで作ろうか


今日はビスコッティというイタリアの堅焼きビスケットを作った。コーヒーに合うし前から好きだったビスコッティ。でも作るのは初めてで、作りながらこんな風にして作るのかといろんな工程で感心した。そもそも材料からして知らなかった。水分は卵だけというのは驚きだったが、あのサクサク感を考えると納得する。大きな塊を20分ほど焼いてすこし固まってから、切って成形するという工程も知らなかったので、なるほどこういう形の整え方があるのかと感心しながらやっていた。

焼く工程が始まって少し落ち着くと、疑問がわきあがってきた。「どこまでは作ろうとするのだろう?」例えば、ビスコッティを作ると言っても、材料は全て買ってきたもので、小麦の栽培なんてしない。そして電気のオーブンで焼いている。釜を作り、火をおこそうなんて思ってない。
材料を買ってきてお菓子を作ったり料理をするのは好きだからやる。時間をかけて作ることや、誰かと一緒に食べるのは楽しい。小麦を育てたり、バターを作るために牛を育てたりということはそこまで長い時間をかけてやりたくはないんだなと思った。たからそういうものは買って済ます。でも、次の工程に一歩進めるかもしれないと考えることは大事だなと思った。

例えばバターなら、ノンホモジナイズドの牛乳を買ってきて作るくらいなら割りと簡単にできる。それがとても美味しいかもしれないし楽しいことかもしれない。

#32 肖像画


#34 こたつに炭


うちでは火鉢を使っているが、大きいメインの火鉢の他に手焙りという小型の火鉢も使っている。大きい方は重くて簡単には動かせないので同じ部屋の同じ場所に置いている。そこで火を絶やさないように管理し、必要なときに手焙りに炭を移しそれを椅子の下に置いたりしていた。火鉢で部屋全体は暖まっているけど、手焙りがあると火を近くに置けるのでより暖かくて便利だ。

その手焙りを初めて炬燵の中に入れてみると、すごく暖かくてびっくりした。電気を入れなくても、足の霜焼けが痒くなるほどポカポカする。いつもなら本を読んだりしてる手は冷えてしまっていたのに、手焙り入りの炬燵に入っているだけで冷えない。この炬燵のある部屋には部屋には他の暖房はない。炭の火の力と炬燵の蓄熱の良さに感心した。

#31 踏み石


#33 お鍋が買えない。


4ヶ月ほど前からいい土鍋を買おうと思っているのになかなか手が出ない。何故だろうと考えている。今、他の土鍋があるから買えないのだろうかと思うが、言い訳のような感じがする。使えるものがあるのにわざわざ増やすのは気が引けるというのは確かにあるが、ここまで買いたいと考えながら買えない理由なんだろうか。

本当はその土鍋がどんなものなのか想像できてないからお金が払えないんだ。ご飯が今よりも美味しく炊けるってどういうことなのか、火の周りが違うってどういうことなのか、わかってなくてお金が払えない。

「使ってみればわかる」と言われればその通りだか、その前に分かりたい。どう違うのか調べてみるし、それに今の土鍋とステンレスの鍋の火の周りの違いのことを考える。厚さの違うステンレス鍋やアルミの鍋でご飯を炊いた時のことを思い出してその差は確かにあったと思い返す。きっと、土鍋同士でも差があるというのが予測できる。

そんなふうに考えながらいつかその2万円の土鍋が買えるかもしれない。今、収入が少ないので2万円払う決断がなかなかできない。でも、毎日のように使う道具なのでいいものが欲しいなと思っている。

#30 H


#32 見える機能



久しぶりにおひつの話。もうおひつを使うことにはすっかり馴染んでしまった。使い始めて約2ヶ月。表面は黒くなったりしはじめ、木の新しさは消えてきた。使う前に湿らそうとか、くっついたらやだなとかいう心配はない。最初は変化が大きいので楽しさと心配といろいろあり、毎日おひつのことを考えて使っていたが、今では美味しいご飯を食べたいと思いながらたんたんと使っている。

おひつは3日ほど乾かなかったりするから使えないときもある。その時に使える時よりもおひつのことを考えたりする。ご飯を炊く調理器具がないといった感じ。

すっかり乾燥させたおひつにごはんを入れるとごはんの蒸気を吸い取りじっとりと濡れていく。蒸気が直撃する蓋は、濡れているが全て吸いきれないのか少し水滴が残る。余分な水分を吸い取るというおひつの機能が一目瞭然なのがいい。機能がよくわかるというのは道具の好きな要素の一つだ。だから、おひつのことをある程度理解してしまえば心配なく使えるし、もし調子がわるくなればすぐに分かるだろうと思う。

#29 つかの間のぬくもり


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